AFFECTUS No.634
コレクションを読む #1
6月20日から開催されたミラノ・ファッションウィーク・メンズから、いよいよ2026SSシーズンが本格的に始動した。だがその前に、どうしても触れておきたいコレクションがある。2025AWの発表が一段落したタイミングで各ブランドからリゾートコレクションが相次いで公開されたなか、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)による「ヴァレンティノ(Valentino)」の2026リゾートコレクションに目が留まった。
▶︎クリスチャン ディオールとニューノームコア
「贅沢=華やか」の時代は終わった?静けさこそが、いま最も贅沢。
ルックはメンズ・ウィメンズ合わせて130以上という圧倒的なボリューム。アニマル柄、ペイズリー、チェック、1970年代を思わせるレトロスタイル。ミケーレらしいヴィンテージ感あふれるモチーフの数々が、ヴァレンティノの卓越した職人技で仕立てられている。かつての「グッチ(Gucci)」同様、彼のスタイルは明確だ。だが今回、最も印象に残ったのは、服そのものではなかった。
ミケーレは、最新ルックを着たモデルたちをベッドの上に寝かせ、その様子を真上から撮影した写真をルックとして発表した。基本的に1ルックに1人のモデル。時おり、同性のモデル2人が同じベッドに寝そべり、手をつなぎ、目を閉じる。そんな親密なイメージも見られた。全ルックに共通していたのは「ベッド」という舞台装置だ。
ベッドを背景にしたルックは珍しい。加えて、モデルたちが着ているのはコートやドレス、つまり本来ベッドで着るような服ではない。だからこそ、どこかちぐはぐで、不思議な光景が広がる。けれどそのズレが、想像力を刺激した。
ヴァレンティノはイタリアを代表するラグジュアリーブランドであり、誰もが気軽に着られる存在ではない。だがミケーレは、「ベッド」という日常的で親しみのある空間を通して、ファッションをどこか身近に感じさせるようなプレゼンテーションを試みたのではないか。
ここ数年、「ラグジュアリー」という言葉がもてはやされてきた。その響きからは、資産的余裕、非現実的なライフスタイル、選ばれた人だけの贅沢、そんなイメージが立ち上がる。実際、ヴァレンティノもそうした文脈で語られてきたブランドだ。
だがミケーレは、服を“着せる”のではなく“寝かせる”ことで、ラグジュアリーの概念をほんの少しずらしてみせた。服はショーケースの中にあるものではなく、あなたのそばにある、もっと身近で寄り添うもの。そんな親密さを漂わせている。
彼の服づくりには、深い愛がある。もちろん、すべてのデザイナーが服を愛している。だが、ミケーレのそれは、服そのものの造形や佇まいに強く惹かれるタイプの愛情だ。グッチでも、ヴァレンティノでも貫かれているフォークロアなスタイルは、自分が愛するものへの一途さの表れだろう。
▶︎アレッサンドロ・ミケーレの美しい醜さ
気持ち悪いのに、なぜか惹かれる。ミケーレの服は、その違和感も愛の対象。
その愛するスタイルを、より多くの人に届けたい。そのためにミケーレは、ベッドという舞台を使って、服の“見せ方”を更新したのではないか。2026リゾートコレクションは、ルックの美しさよりも、「どう見せるか」という視点が際立っていた。
もちろん、ここまで述べたのは私の想像にすぎない。だが今回のヴァレンティノには、ファッションにおける演出の可能性をあらためて考えさせられた。
ラグジュアリーブランドの服は、誰もがすぐに手に取れるものではない。けれど、もし「あのブランド、自分が着てもいいのかも」と心が動かされた瞬間があれば、それは未来の顧客を生むかもしれない。
「いつか、ミケーレが愛を注いだドット柄のワンピースを購入したい」
そんな日を夢見ることは楽しいはず。
ファッションは、まだ見ぬ誰かを喜ばせる行為である。「わかる人が、わかればいい」。それではファッションの可能性を閉ざしてしまう。ミケーレは、排他的になりがちなこの業界の扉を閉じさせない。
〈了〉
▶︎マーク・ボスウィックがレンズを通して曝け出した、バレンシアガの正体
服の美しさは、演出で決まる。マルジェラを写してきた名手が、服の“正体”を暴く。