昨年から続く、米の価格高騰。日本人にとって当たり前のようにあった「米」が、当たり前でなくなる日々によって、いま私たちは「食」に対する関心や意識が、かつてないほど高まっているのではないだろうか。いつになったら価格は落ち着くのかとやきもきするなか、日本から遠く離れたパリで、井野将之の「ダブレット(Doublet)」は、“いただきます / Itadakimasu”をテーマにした2026SSコレクションを発表した。
金目鯛漁で廃棄される魚網を、リサイクルすることに情熱をかけた人との出会い。“食”を通じて社会を耕す Sky High Farm の思想との出会い。廃業した那須の鶏肉店、高知の漁港で生まれたフィッシュレザーやジビエの素材との出会い。そうした命と暮らしの原点から生まれる素材との出会いが、このコレクションをかたちづくっていた。
「一次産業の人たちが育ててくれる食材のおかげで私たちは生活できている」
この思いと共に作られた服は、現代ファッションにおける「贅沢」の定義を、明確に反転させていく。
ショーのファーストルックは、スレンダーな白のスーツだった。メンズファッションの贅沢品とされるその服は、袖口や裾に焦げ跡のような茶色い染みが施されている。豪華なライフスタイルに忍び寄る影が、滲み出しているとも見えた。
パッチポケットを多用したワークジャケット、カットオフ仕様のワークショーツが登場する。農作業着を思わせる頑強な素材には、果汁がこぼれ落ちそうな果物、瑞々しい食感を呼び起こす野菜がカラフルにプリントされていた。「食べる」という行為。その前には、「育てる」というプロセスがあるのだと気づかされる。
ダブレットらしいユニークなフォルムのアイテムも健在だ。前中心のファスナー、ラグランスリーブと思しき切り替え線が、頭を隠してもなお上に伸び続けるスウェットの形は、右胸のワッペンから察するにバナナを模ったものだろうか。だが、スウェットの色は黄色くない。くすんだ黒と濁ったオレンジ。腐りかけた果実のような色合いは、消費の果てにある現実を見せつける。
女性モデルの中には、コンサバティブな装いをした者もいる。だが素材は、ラグジュアリーとはまったく異なるもの。ベージュのシャギーな素材は荒々しい獣毛に近く、フリンジがところどころに作られ、白地に緑のタイポグラフィがプリントされたスカートやジャケットは、農作物の出荷袋がオーバーラップする。
さらにはパンツのディテールにも注目したい。腰から浮かんだ形に作られたウェスト、そこから裾に向かってテーパードしていくシルエットは、漁師が穿く漁業用パンツを想起させる。足元もまた、漁港で働く人たちが履く長靴を思わせる造形だ。
コレクション全体を通して見えてくるのは、ダブレットならではのワークやストリートのアイテムに混じり、スーツやストライプシャツ、ネクタイ、ミニスカートやミニドレスといった「高級感の象徴」が並んでいたことだ。それらは形式としてはクラシックであっても、用いられた素材はラグジュアリーとは対極の価値を持つ、クラフト的でプリミティブなものだった。
ここで浮かんできた言葉が「反転」だった。
私たちは、これまで当たり前に受け入れてきた価値を、そろそろ別の角度から問い直す時期に来ているのかもしれない。米の価格高騰という現象もまた、消費の裏側を見つめ直すための契機ではないか。
今回のコレクションで、ダブレットが発したメッセージのひとつが「良い素材とは何か?」だった。
展示会を訪れる度に感じ始めたのは、ダブレット最大の強みが「素材」であること。ただしそれは、ギザコットンやSUPER 100’Sといった伝統的な高級原料とは異なる、全く別の文脈で語られる素材だ。廃棄されるはずだったもの、価値がないとされてきたものに、ダブレットは価値を見出し、新しい素材を開発する。まるで、食材を余すことなく活かす料理人のように。
そして、価値がなかったはずのものが価値を持った素材は、スーツやドレスといった正統派のアイテムに使われることで、かつての贅沢の構造そのものが反転していく。
ダブレットは「本当の贅沢とは何か?」ともう一つのメッセージを発している。
注目すべきアイテムがベルトだった。バックルがブランドロゴの「D」と「B」を組み合わせ、ゴールドに輝く。1980年代のイタリアブランドを彷彿させる煌めきを放っている。だがよく見ると、その「D」は左右反転されていた。
井野はファッションの記号をずらし、構造を裏返すことで、私たちの「ものの見方」そのものを揺さぶろうとしている。「それは本当にラグジュアリーなのか?」「それは本当に美味しいのか?」と。
ユーモアの奥に潜む社会性。私たちは、ダブレットというブランドの見方自体を、いまこそ反転させて見るべきなのかもしれない。
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