AFFECTUS No.636
コレクションを読む #4
「なぜ、このデザインをディオールで行うのか?」
これは、ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)が「ディオール(Dior)」のデビューコレクションを見ている最中から、浮かんできた疑問だった。
▶︎モダンなコム デ ギャルソン
9年前、彼はまだ“本音”を語っていなかった。AFFECTUS初のアンダーソン評。
服そのものは美しく、来年の春夏でビッグシルエット終焉の予感すら生まれるほど、スタイルは先端的だった。メンズファッションの伝統を尊重したデザインは、上半身にはストライプシャツやショート丈のベスト、テーラードジャケットなどトラディショナルなアイテムが並び、色調も落ち着いている。だが、下半身に目を向けると、急に景色が変わる。幾重にもヒダを重ねたジーンズ、斜めに切り替えが横断するパンツ、ワイドに広がるショーツは、現実の服の輪郭をかすかに崩しながら、前衛へと足を踏み出していた。
この「上半身=現実/下半身=非現実」という構成、現実×非現実という重ね方にはどこか見覚えがあった。まさに「JW アンダーソン(JW Anderson)」で何度も見てきた風景だ。トラッドという文脈においては普遍的とされるフォルム(今回で言えばシンプルなストライプシャツ)と、同じ文脈の中ではまず見られなかったフォルム(たとえば、ディオールのアーカイブに着想を得た、ヒダを幾重にも重ねたジーンズ)。その両者が一つのスタイルの中で共存することで、現実とも非現実とも言い切れない、シュールな装いが立ち上がっていた。
ディオールという格式ある舞台で、そうした感覚が再び現れたことには、素直に驚きと喜びがある。特にディオールのアーカイブに着想を得たというデニムのパターンは印象的だった。前衛的でありながら、どこかクラシックな気配が漂う。甘美で、少し古風で、でも新しい。そうした空気をまとう服を、アンダーソンは生み出していた。
だが同時に、この既視感をどう受け止めるか。それが、このコレクションを見る上で最初のハードルでもあった。
アンダーソンがディオールで実践したのは、近年JW アンダーソンで築いてきた手法そのものだった。現実と非現実を共存させ、トラッドの記号を借りつつ重力を抜き、リアルとシュールの境界で遊ぶ。ブランドが変わっても、そのテクニックは変わらなかった。
だが、これはディオールでの仕事。地続きのスタイルを展開することは、ディオールとJW アンダーソンの境界を曖昧にする選択でもある。
近年は「現実×非現実」という方程式で、ミニマリズムの定義を揺らす提案が続き、「ロエベ(Loewe)」時代からのジーンズへの取り組みは、ラグジュアリー価値の再定義でもあった。だが、JW アンダーソンと同じ温度・同じ手法でディオールに臨めば、JW アンダーソンというシグネチャーブランドが、ディオールの延長線上、あるいはそのセカンドラインのように錯覚される危険性もある。
▶︎サステナブル・パンク、主張しないエムエフペンの反抗
静かにズラす。語らず抗う。mfpenの服に通底する“非・主張”の姿勢。
ここで湧き上がってきたのは、ある種の「物足りなさ」だった。それは完成度やクリエイティブへの不満ではない。ただ、こう思ってしまったのだ。「ディオールで、もっと別の響かせ方があったのではないか」と。
たとえば、現実×非現実という構造は同じでも、JW アンダーソンではトラッドやカジュアルを軸にシュールな表現へ導いていたものを、ディオールではエレガンスやドレス的な空気感を強めた形で展開する。そんな「テイストの差異化」による響き分けがあってもよかったのではないか。手法は共有しながらも、出てくる温度がブランドによって変わる。そうした「文脈の使い分け」によってこそ、アンダーソンが2つのブランドを横断する意味がより鮮明になると思えた。
アンダーソンの中にディオールらしさ──甘美でロマンティックな気配──が内包されていることは確かだ。だが、それはJW アンダーソンにもある。だからこそ、大きなズレを生むテイストの調整が必要だったように思う。
このデビューコレクションは、形式としては正解に見える。だが、JW アンダーソンとディオールのあいだに、もっと大きな隔たりを見たかったというのも本音だった。
アンダーソンの文法は、ディオールという舞台でも確かに機能していた。構築、解体、重ねることでズラすという彼の持ち味は、甘美なムードをまといながら、クラシックとも前衛とも言い切れない美しさを生み出していた。だが同時に、それは「いつものアンダーソン」でもあった。
このメンズコレクションには、初回とは思えないほど洗練されていた。だがその一方で、「どこまでがJW アンダーソンで、どこからがディオールなのか」という境界線は、いくぶん曖昧だったように思う。その揺らぎが、いまのアンダーソンの強みであると同時に、これからディオールで向き合うべき課題なのかもしれない。
〈了〉
▶︎伊勢神宮の式年遷宮とハイクのデザイン
シンプルさの中に、ズレを仕込む。ハイクが見せる、日本的な“再解釈のモード”。