AFFECTUS No.640
ムーブメントを読む #2
「現在の実力と評価なら、どこかのディレクターを任されてもおかしくない」
そう感じていたデザイナーが、本当に就任した。
若手支援を目的とするフランスの権威ある賞「アンダム ファッション アワード(ANDAM Fashion Award)」。2025年度のグランプリを受賞したメリル・ロッゲ(Meryll Rogge)が、ついにトップブランドのディレクターに就く。それも、イタリアの「マルニ(Marni)」で。
▶︎もっと妖しい世界を見せて欲しいとマルニに願う
“かわいさ”を解体し、妖しさへと振り切ったリッソのマルニ。その先を見たくて、まだ彼に期待していた。
7月15日、マルニはフランチェスコ・リッソ(Francesco Risso)の退任を発表し、その後任としてロッゲを指名した。驚きのニュースだった。いずれ、どこかのブランドを任されるだろうとは思っていたが、それが今で、マルニだとは想像もしていなかった。
だが冷静になってみると、この人選は意外にも理にかなっているように思えてくる。「今しかない」というタイミングで、「このデザイナーしかいない」と言いたくなるような巡り合わせ。ロッゲとマルニは、そういう関係かもしれない。
ロッゲはアントワープ王立芸術アカデミーを卒業後、「マーク ジェイコブス(Marc Jacobs)」と「ドリス ヴァン ノッテン(Dries Van Noten)」で経験を積み、とくに後者ではウィメンズ部門のチーフデザイナーを4年間務めた。2020年に自身のブランドを立ち上げた際も、ベルギーブランドでのキャリアは大きな注目を集め、NYタイムズの「T Magazine」で特集記事が組まれるほどだった。
ちなみに、ドキュメンタリー映画『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』(2017年公開)にもロッゲは登場している。当時からブランド内で重要な役割を担っていた証だ。
ただ、ロッゲは良い意味でドリスの影響を受けていない。通常、メゾン出身のデザイナーが自身のブランドを始めると、どうしてもそのエッセンスがにじむものだが、ロッゲのデビューコレクション(2020AW)はむしろまったく違っていた。
たとえば色使い。
ドリスが「荘厳」であるなら、ロッゲの色は「猥雑」。私はそれを「上品な下品」と表現した。相反する色を組み合わせた独特のカラーパレット。スリムとビッグが混ざり合うシルエット。それらを、彼女の故郷から引き出されたノスタルジーが包み込んでいた。
最初からオリジナリティは明確だったが、そこからさらにロッゲは変化していく。
「上品な下品を、さらに上品へ」
▶︎メリル・ロッゲが、上品な下品をより上品へ
「上品な下品」という表現を、彼女は更新し続けていた。
彼女は自分自身の初期衝動さえも、すでに超えている。
このように、確かな実力を積み上げてきたロッゲが、いまマルニという舞台に立つこと。それはとても自然な流れに思える。
一方のマルニも、ちょうど変化を必要としている時期だった。
かつて創業者のコンスエロ・カスティリオーニ(Consuelo Castiglioni)がつくったマルニには、魔法があった。あの服は、着た人すべてを“かわいい”という言葉に変換してしまう力があったのだ。
その魔法を手放したのが、後任のフランチェスコ・リッソだった。
リッソのマルニはキッチュで、毒気があり、怪しさが漂っていた。カラフルなのに可愛くない。ケバケバしいのに見入ってしまう。その新しさに惹かれた人たちが確実に存在し、ブランドの顧客層は変化していった。だからこそ、彼は約9年間もディレクターを務めることができたのだろう。
だが、そのリッソが退任した。
ブランドとしては、次のフェーズに進まなければならないタイミングなのだ。
もちろん、既存の顧客を手放すわけにはいかない。しかし、新しい空気も必要だ。ロッゲなら、その両方に応えられる。彼女のキッチュな色彩感覚はリッソと共通するが、そのなかには明らかに違う質がある。
それが、「上品さ」だ。
ロッゲの服には、混沌のなかにどこか優雅さがある。どこかに、ドリスの残り香がある。ただし、それは模倣ではない。スタイルに滲み出る、静かなエレガンスだ。
ロッゲの「上品な下品」という才能と、リッソ時代のマルニが培ってきた世界観。
この二つがどう交わるのか。
どんなコレクションが見られるのか。
彼女のデビューシーズンが、待ち遠しい。
〈了〉
▶︎「ミニマリズムからの脱却」メイヤー夫妻が再定義したジル サンダー
ブランドの“第三章”をどう立ち上げるか。その問いに向き合った、もうひとつの選択。