手前で立ち止まる前衛性-メゾン マルジェラ 2026SS

AFFECTUS No.669
コレクションを読む #17

2026AWオートクチュールコレクションでデビューを飾った、グレン・マーティンス(Glenn Martens)による「メゾン マルジェラ(Maison Margiela)」。マーティンス体制初のコレクションには、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)の1989SSデビューコレクションからの記憶が、いくつも静かに息づいていた。マーティンスは、自らの主張を前に出すのではなく、メゾンの原点へと静かに立ち還り、現代にふさわしい姿へと結晶させた。その試みは、初のプレタポルテとなる2026SSコレクションにも受け継がれている。

▶︎顔を隠すことで、服の“主題”を語る-メゾン マルジェラ 2025AW Couture
マルジェラの“顔”を覆い、継承の第一歩を刻むグレン・マーティンス。
→ AFFECTUS No.639(2025. 7. 16公開)

それは「マルジェラらしいが、マルジェラではない服」だった。

マーティンスのデザインは、2025年1月に終了が発表された「ワイプロジェクト(Y/Project)」で最も鮮明に示されていた。ベーシックなアイテムに構造の歪みを与えるツイストフォルム。その感覚こそが、彼のデザインの核にある。今回のコレクションでは、その「歪み」は形ではなく、マルジェラの服作りの概念そのものに捻りを加える方向で表れていた。

マーティンスのメゾン マルジェラは、色彩とシルエットを通して「メゾン マルタン マルジェラ」時代の空気を呼び戻している。細く長いシルエット、白・黒・ベージュ・グレー・デニムの抑えた色味、そしてテーラードジャケットやトレンチコート、デニムといった定番的要素。いずれもマルタンが好んだ要素だが、それらは過剰に演出されることなく、静かに抑制されている。この「抑制」こそが、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)との決定的な違いである。マルタンの原則を守ること。その姿勢こそが、マーティンスによるメゾン マルジェラである。

マルジェラの代名詞といえば、既存の服の再構築。マーティンスもまた、その手法を踏まえつつ、あえて前衛性から二歩手前に留まる。全体としてはベーシックに寄せながらも、造形には確かな緊張が残る。マルタンが黄金期を迎えた1990年代とは異なり、2020年代の現代はベーシックが価値を持つ時代。マーティンスの抑制は、その時代感覚に呼応しているようにも見える。

1989SSのデビューコレクションでマルタンは、袖山を詰めてパフスリーブ状に盛り上げたピークドラペルのジャケットを発表した。

▶︎マルタン・マルジェラのデビューショーを観た
1989年、前衛の起点となったジャケットの記憶。
→ AFFECTUS No.58(2018. 3. 4公開)

伝説となったその一着を、マーティンスは2026SSで穏やかに更新している。上衿とラペルは削除され、首元には襟腰を残してわずかに立ち上がるノーカラー仕様。袖山にはやわらかな丸みが与えられ、肩の強調が1989SSよりもずっと穏やか。1989SSのジャケットはダーツを取った肘、身頃のダーツの取り方も特殊、ダーツの縫い代を表に出すなど、形はベーシックでもベーシックな形を作る構造が前衛的だった。翻って、2026SSのジャケットは構造も形もあくまで静か。過去のエッセンスを残しながら、静かな再構成を試みている。

マーティンスの手つきを最もよく示していたのは、コーヒーを少し薄めたようなモカブラウンのチェスターコートだ。シルエットは端正だが、衿まわりに静かな仕掛けがある。マフラーを重ねているのだが、右身頃では折りたたまれた生地がラペルの上に滑り込み、左身頃ではラペルがマフラーの下から影絵のように輪郭を浮かせている。静けさの中に宿る緊張——それが、マーティンス流の構造美である。

極力シンプルを保ちながら、前衛性を局所にのみ刻む。その刻みが、マルタンより二歩手前——。それが、マーティンスの新しいマルジェラである。

マーティンスは、ガリアーノよりもマルタンのDNAに忠実だ。忠実でありながら、仕掛けはより抑制的。その抑制が、2026年に「マルタン・マルジェラ」を静かに再生させている。この丁寧さが今後どの地点で転換を迎えるのか。その瞬間を見届けたい。

〈了〉

▶︎ジョン・ガリアーノ、最後のメゾン マルジェラ
削ぎ落とすマルジェラ、装飾するガリアーノ。
→ AFFECTUS No.591(2025. 1. 15公開)