AFFECTUS No.673
ムーブメントを読む #4
これほどにディレクター人事が賑わった時代があっただろうか。昨年から今年にかけて繰り返された退任と就任は、想像以上に多く、激しく、そして大きい。またも新たなニュースが届いた。「バルマン(Balmain)」がオリヴィエ・ルスタン(Olivier Rousteing)の後任として、意外な名前を指名した。その名は「アトライン(Atlein)」のアントナン・トロン(Antonin Tron)。
▶︎アトラインの戦略的アプローチ
素材とアイテムを絞り、精度で勝負した静かな成長戦略
→ AFFECTUS No.101(2018.10.21公開)
この発表を目にした瞬間、驚いた。バルマンといえば、装飾性が高く、豪奢で、肉体を生々しく演出するシルエットを特徴とするブランドだ。ルスタンはその世界観を決定づけたデザイナーだった。一方で、トロンのデザインはミニマルで、ボディコンシャスな布使いを得意とし、クリーンなタッチを生み出す。両者は対照的だと言っていい。
この断層は何を意味するのだろうか。
多くの人が「バルマンは大きく変わる」と感じたはずだ。肉欲的でマキシマムな表現から、洗練されたミニマルな世界観へ。市場の潮流を考えれば、自然な判断のようにも思える。シンプル化への傾き、ボリュームダウンの兆し、長く続いたビッグシルエット時代からの静かな転換。そこに沿う形での人事だ。
▶︎2026年の春夏、ビッグシルエットは終わるのか?
“かたち”の価値観が静かに反転する瞬間を追う
→ AFFECTUS No.637(2025.7.9公開)
けれど、合理的な判断がそのまま成果に結びつくとは限らない。マキシマムなアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)から、ミニマルなサバト・デ・サルノ(Sabato De Sarno)へ転換した「グッチ(Gucci)」の例のように。合理的であっても、結果は読み切れない。
私たちはしばしば「正しさ」を繰り返す。前年の売上データをもとに新商品を企画し、売れた要素を抽出して反映させる。店頭には前年の延長線にある新商品が並ぶ。同じ構造のリール動画がInstagramに溢れるように。結果が出ている“形式”は、企業の中で強い。
それは、私自身も同じだ。Googleアナリティクス(GA4)で反応の良かったコラムを参考に、その構造を別のコラムに取り入れることがある。よい時もあるし、そうでない時もある。だが、想像を超える成果につながった経験は多くない。
むしろ、世の中の動きを意識せず、自分が強く惹かれたものをその熱のままに書いたときのほうが、大きな反応を得られることがある。ただし、その反応が「安定」することは少ない。個人の感性に傾けた制作には、緩急がある。
合理性と非合理性。論理と直感。計算と感情。どちらも正しく、どちらも不確か。創作における永遠の課題だ。
だからこそ、トロンに期待している。初めて彼のコレクションを見た時から、そのボディコンシャスなミニマリズムには惹かれていた。2017年のLVMHプライズのファイナリスト、2018年のANDAM受賞と、業界内での評価は高い一方で、市場での注目度とは距離があるように感じていた。
今回のバルマン就任が、その距離を埋めるきっかけになるのかもしれない。合理性と非合理性、両方が混ざり合うクリエイションの現場で、この人事がどのような結果を招くのか。バルマンという舞台で、トロンの実力がどのように証明されるのか。デビューコレクションが待ち遠しい。
〈了〉
▶︎ストリートのマルタン・マルジェラ -モードな視点からシュプリームを読み解く-
贅沢を否定し、構造と仕掛けで「新しい価値」を生んだストリートの思考を追う。
→ AFFECTUS No.82(2018.8.14公開)