セブンスを通して考える、コミュニティはコレクティブへ

AFFECTUS No.683
ブランドを読む #9

2019年にブッキ・オジョ(Bukki Ojo)が設立した「セブンス(Seventh)」は、ロンドンを拠点に活動するストリートウェアブランドだ。フーディやスウェットパンツを中心としたワードローブは、ニュートラルな色調とワイドなシルエットで統一され、強い装飾やメッセージを前面に出していない。いわゆるベーシックとも違うが、ロゴやグラフィックに意味を託すタイプのストリートウェアとも距離を取っている。

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セブンスは、グラフィカルな要素の代わりに服の造形で、特徴を打ち出す。幅広いシルエットのニット、裾に向かって広がるバミューダパンツは、体との距離を取った特異なフォルムゆえにその佇まいは個性的で、着用した際のイメージを一定に保つ強さがある。ただ、フォルムの存在感が強いために、自己主張のための記号というより、着る人の属性を曖昧にするためのフォーマットとして機能しているように見える。

一見するとネガティブに聞こえるかもしれない。着る人の個性が引き立てにくい服として。しかし、グラフィックを抑制し、フォルムに焦点を当てたストリートウェアは、別の効果を発揮している。それは、Instagramに現れていた。

セブンスのInstagramを眺めていると、ある違和感に行き当たる。複数人で写ったビジュアルが少なくない。しかも、彼らは同じ服を着て、共通のスタイリングで並んでいる。そこに写っているのは、親密な友人関係というより、同じ目的のもとに集まったチームメイトのような姿だ。

個々のキャラクターが前に出ることはない。笑顔や関係性よりも、服の分量、色の揃い方、立ち姿の統一感が先に目に入る。セブンスが可視化しているのは、感情で結ばれた集団ではなく、同じフォーマットに身を置く人々の集合体に感じられてきた。

ブランドとしてのセブンスは「つながり」や「居場所」といった概念を大切にしている。コミュニティを軸に活動し、実際のサポーターがビジュアルに登場することも多い。興味深いのは、その物語性が服の表面にはほとんど現れていない点だ。

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服は語らない。だが、ブランドの周縁には、確かに人の集まりが存在している。ここで、「コミュニティ」という言葉をそのまま当てはめていいのか、戸惑ってしまう。

ファッションにおいて語られてきたコミュニティは、多くの場合、親密さやライフスタイルの共有を前提としてきた。しかしセブンスが示しているのは、そうした情緒的な結びつきとは異なる。服は匿名だ。着る人の背景や思想、個人的な物語を前に出さない。その代わりに、同じ服を着た複数人が並ぶことで、ひとつのまとまりが立ち上がっているのだ。

服は匿名、物語は共同体にある。

ここで言う共同体とは、個人の物語が集積した場ではない。個人が匿名のまま参加し、役割や配置、フォーマットを共有することで成立する集合体だ。言い換えれば、コミュニティからコレクティブへの移行である。

この変化は、ファッションの内部だけで完結する話ではない。プロフィールや立場、意見を常に提示することが求められる現代社会において、「語らなくても参加できる場」は、以前よりも切実な意味を帯びている。セブンスの服は、自己表現のための装置というより、そうした場に身を置くためのユニフォームとして機能している。

セブンスのあり方は、集団のあり方を、服とビジュアルを通して淡々と可視化している。それが、結果として現代的に映っている。

コミュニティからコレクティブへ。

セブンスは、その兆候が確かに存在していることをロンドンから示している。

〈了〉

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