ノームコアとステルスシック──思想の違いが服に現れなくなった時代

AFFECTUS No.685
ムーブメントを読む #7

ファッションとは、思想の違いが見た目の違いとして現れるものだった。パンクな服には体制への反抗があり、クラシックには伝統への敬意があった。ミニマルな服は過剰さと距離を置き、ラグジュアリーは優雅さを尊んだ。服は、考え方を外側に翻訳する装置だった。しかし、今、異なる現象が現れている。それは、思想は違うのに、服の外観が同じになるという現象である。

▶︎ 既存イメージを断続的に裏切るマメ クロゴウチ
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→ AFFECTUS No.43(2020.9.22公開)

知るきっかけは、ヘロン・プレストン(Heron Preston)が自身のブランド再始動を知らせるヴォーグ(Vogue)の記事を読んだときだった。記事を書いたのは同メディアのシニア・ファッション&スタイル・ライターである Christian Allaire 。彼は、プレストンの新しい服を通して、現在のファッションのムードを言語化していた。

ただ、その言葉を追っていくうちに、別の感覚が浮かび上がってきた。これは新しいスタイルの話なのだろうか。それとも、スタイルというものが、もはや外見では判別できなくなったという話なのか。思想が違うはずの服が、同じ見た目で並ぶようになった世界。その世界では、何が起きるのだろうか。

プレストンの再始動は、派手な宣言から始まったわけではない。むしろ、その逆だった。新しいコレクションで彼が強調していたのは、日常着としての機能性や、削ぎ落とされたワードローブの構成だった。派手なグラフィックTシャツ、シグネチャーであるオレンジから距離を取りつつもエッジを失わない。日常的に着られる、端正なカッティングで作られたベーシックを発表した。

記事の中でプレストンは、「自信を得るために、見世物を着る必要はない」と語っている。以前は誰かのビジョンを実行している感覚があったが、今は自分の創造性と距離を取り戻した。その結果として、こうした服に行き着いたのだという。プレストンはファッションを主張のツールとして使うことを止めた。

ここで、記事の書き手である Allaire は、プレストンの新しい服を「ステルスシック」という言葉で表現していた。ロゴは控えめで、色数は少なく、一見するとどこにでもありそうな服。その外観だけを見れば、特別な違いは見当たらない。しかし、その服にはどこか既視感がある。

▶︎ アン ドゥムルメステールが穿くジーンズ
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→ AFFECTUS No.562(2024.10.6公開)

無地で、普通で、目立たない服。かつてノームコアと呼ばれた装いも、同じような見た目をしていた。外観だけを切り取れば、両者を見分けることは難しい。しかし、双方の外観は同じだが、思想は違う。ノームコアが「普通であること」を選び取る態度だったとすれば、ステルスシックと呼ばれる現在の服は、普通であることを選ぶことすら選ばない状態に近い。選択そのものから距離を取ったのが、ステルスシックだと言えるかもしれない。

思想は異なるのに、最終的に並んでいる服は驚くほど似ている。これから、そんな現象が増えていくとしたら、その世界では何が起きるのだろうか。たとえば、Tシャツとジーンズ姿の人々が100人、目の前にいたとする。その人たちは全員異なる思想から、Tシャツとジーンズを選んでいる。

ラベルの貼れない世界は、同時に「微細な差異」という終わりのない差別化を生む。

全員が同じような白いTシャツを着ている世界では、人々の視線はより細部へと向かうだろう。生地のわずかな光沢、縫い目の質、あるいはネックラインの幅と深さ。それは、知識を持つ者同士にしか解読できない「暗号」のようなファッションだ。

外見から主張が消えた結果、かえって「知っている者」と「知らない者」を峻別する、閉鎖的でスノッブな格付けが加速していく。それは、かつての派手なロゴ以上に、残酷な境界線として機能し始める。

思想が違っても服が同じという現象の行き着く世界とは、どんなところだろうか。ファッションという名の翻訳装置は、より解読の難しい言語に変わっていくのかもしれない。

〈了〉

▶︎ 人は素材のイメージを着ている
外見ではなく、感覚やイメージが服の価値を形作っていくという視点。
→ AFFECTUS No.23(2016.11.20公開)