AFFECTUS No.694
コレクションを読む #25
男性の服は女性の服に比べて、境界が明確であることが多い。シャツ、ジャケット、パンツ、コート。ドレスという一枚続きの服があるウィメンズに対して、メンズウェアは各アイテムがパーツのようであり、そのパーツの組み合わせによって、男性の装いが完成している。このセパレート感こそ、メンズの根幹ではないかと思える。
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その根幹に異議を唱えたのが、2026AWシーズンの「アイム メン(IM Men)」だ。「イッセイミヤケ(Issey Miyake)」のコンセプト「一枚の布」を、男性の身体という視点から捉え、ものづくりの可能性を追求するブランドが、アイム メンである。ファッション界で最も完成された名コピーとも言える「一枚の布」というコンセプトを、2026AWコレクションは具体化したと言える。
ジャケット、コート、パンツはそれぞれ確かに独立している。だが、身体との距離を作った量感に富んだシルエットで統一され、素材と色も共通、あるいはグラデーションするように色の差異を抑えた構成でルックが作られている。つまり、造形面でも視覚面でも、男性のスタイルの根幹である「セパレーション」が消失しているのだ。
これが、MA-1、スウェット、ジーンズという素材も色彩も異なるアイテムで、仮にシルエットがボリューミーな形で統一されていたらどうだろうか。ランウェイを歩くモデルの姿は、従来のメンズ像に重なるセパレーションが生まれていたのではないか。
アイム メンは素材感と色彩の統一が可能な限り図られ、メンズのアイテムを一続きに感じさせる視覚効果を生んだ。ドレスを作って男性に着用させる手法とは別の手法で、ドレスのようなビジュアルを生んだとも言える。
たとえばブラックのルックでは、フード、アウター、ボトムスが幾層にも重なっているにもかかわらず、視線はその重なりを一つひとつ追うことができない。どこで服が切り替わり、どこから次のアイテムが始まっているのかが、分かりにくく設計されているからだ。そこにあるのは、着用者が服を「組み合わせた」姿ではなく、身体そのものが一つの塊として立ち上がる視覚効果である。
ブルーのグラデーションを用いたテーラードのルックでは、より静かな形態で境界が溶けていく。ジャケットとパンツは、アイテム上は明確に分かれている。しかし、色の流れが上下を貫くことで、視線は服の構造ではなく、身体の縦のラインをなぞる。境界線はアイテムではなく、色彩の移行に置き換えられていた。
重要なのは、ここで行われているのが「ドレスを男性に着せる」という直接的な方法ではない点だ。もしドレスという一枚続きの服を男性モデルが着ていたなら、議論は容易にジェンダーレスや性差の解体へと回収されていただろう。しかし、アイム メンが試みたのは、あくまでメンズウェアの内部に存在していた境界を、メンズウェアの語彙だけで曖昧にすることだった。
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境界とは、主義主張、思想、価値観、あるいは身体的特徴など、対極のものが隣り合う時に生じる壁のように思われてきた。しかし、境界とは、同質に見えるカテゴリーの中にも存在する。
同じ会社に勤め、同じ役職に就き、同じ時間帯に働いている人間同士であっても、装い、振る舞い、声のトーンによって、そこには微妙な距離が生まれる。それは、分断というほど大げさなものではない。むしろ、ごく日常的で、無自覚な線引きだ。私たちは同質な集団の中に身を置きながら、同時に、互いのあいだに境界を感じ取って生きている。
2026AWのアイム メンが示したのは、境界を破壊することではなかった。セパレートという前提を残したまま、その存在を感じさせなくする視覚の設計である。その態度は、服の話にとどまらず、同質なカテゴリーの中で生きる私たち自身の感覚にも重なってくる。
〈了〉
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