AFFECTUS No.699
ブランドを読む #10
本物のヴィンテージには、緊張がある。ジーンズは色落ちが一本ごとに違う。ウエストは表記より細く、裾は前の持ち主の癖でわずかに擦れている。同じ状態のものは二度と現れない。価格は年々上がり、理想の一本に出会えるかどうかは運に左右される。「偶然」が、本物を手繰り寄せる。
▶︎ 関連コラム
アンダーソンがロエベで問う、アヴァンギャルドの再定義
→ AFFECTUS No.564(2024.10.13)
だが、偶然を求める行為は、今や偶然ではない。
ヴィンテージを探す人間は、購入前に相場を調べ、個体ごとの状態を評価し、古着屋や出品者の信頼性を確認する。コミュニティで情報を集め、ブランドごとの年代差を把握する。「偶然の出会い」を求めながら、その偶然をできるかぎり制御しようとしている。管理された探索の末に、偶然を演出する。本物のヴィンテージを選ぶことも、現代においてはある種の「整えられた行為」だ。
「アプレッセ(A.Presse)」は、その逆方向から近づく。意図的に整えながら、整えていないように見せる。
デニムはヴィンテージ特有のフェードを再現しながら、現代の体型に合わせてパターンが再考される。股上やわたり幅はわずかに修正され、過去と現代のフィット感の誤差を調整する。ミリタリージャケットは当時のディテールを踏襲しつつ、素材は新しく、着用のストレスは最小限に抑えられている。ステッチのピッチ、ポケット位置、色落ちのグラデーション。偶然に見える風合いは、すべて研究の産物だ。
重要なのは、その精度の質だ。
アプレッセのアーカイブへの向き合い方は、「再現」ではなく「解釈」に近い。古着のディテールをそのまま写すのではなく、なぜそのディテールが生まれたかを問い直し、現在の文脈に置き直す。工場の制約から生まれたステッチの間隔が、今は審美的な選択として再定義される。素材の劣化が生んだ色落ちが、今は計算されたグラデーションとして提示される。文脈が変わることで、ディテールの意味も変わる。アプレッセが扱うのは、古着の「形」ではなく古着の「論理」だ。
▶︎ 関連コラム
ハイクが見せるワークウェアの向こう側
→ AFFECTUS No.362(2022.9.11)
近年、海外メディアでディレクター重松一真のインタビューが増え、海外のセレクトショップでも扱われている。その背景には、単なるジャパンブランドへの関心以上のものがある。
本物のアメリカ古着は価格が高騰し、良品は入手困難。一方で、ロゴや誇張に寄ったデザインへの疲れも広がっている。そうした市場の空白を、アプレッセは派手さではなく精度で埋める。
しかしそれ以上に、アプレッセが海外で受容される理由は「距離」にある。
アメリカのブランドがアメリカのヴィンテージを再解釈しても、それは内部からの反復にすぎない。日本のブランドがアメリカの文化を参照するとき、そこには必ず「外からの視点」が入る。何を選び、何を省くかという編集の意志が、外部の目によって初めて浮かび上がる。アプレッセが提示するアメリカ的なるものは、アメリカ人自身が見落としていたものを含んでいる可能性がある。精密さは手段であり、その精密さを支えているのは、対象に対する適切な距離感だ。
整えられた過去を着るとき、そこに不安はほとんどない。サイズは想定通りで、ショルダーラインは綺麗に収まる。色落ちは完成された状態で提示され、これ以上崩れる心配は少ない。本物のヴィンテージは違う。着るたびにどこかが変わる可能性がある。膝がさらに抜けるかもしれないし、縫い目が解けるかもしれない。
ここで問うべきは、どちらが「本物か」ではない。私たちが時間に何を求めているか、だ。どちらも時間を扱っている。ただ、方法が違う。
アプレッセの人気は、ヴィンテージの代替品が求められているということではない。時間の扱い方が多様化しているということだ。その行為が服という形をとるとき、整えられた過去には、不確実さの代わりに意志がある。それは欠落ではなく、別の誠実さかもしれない。
〈了〉
▶︎ 関連コラム
ザ ロウは美しさの真意を問う
→ AFFECTUS No.179(2019.12.10)