視界の端に映ったシャツを着る朝-サンダーラック 2026SS

AFFECTUS No.636
コレクションを読む #3

朝、家を出る前に、服を選ぶ時間がある。と言っても、考えて選ぶというほど大げさなものではない。視線を送ったその先で、今日という日にちょうど合いそうな気配の服に、ふと手が伸びる。たぶんそれは「選ぶ」というより、「出会う」に近い感覚だ。

▶︎ ヤエカのパンツを穿き続けよう
服が主張しないことで立ち上がる「何か」がある。サンダーラックの静けさに共鳴するような、ヤエカのパンツの物語。

デビューを迎えた「サンダーラック(Sanderlak)」の2026年春夏コレクションを見て、最初に思い出したのは、そんなとある朝の光景だった。

どこにでもありそうで、でも少しだけ柔らかくて、優しくて。そんな服たちが、緊張も気負いもなく並ぶ。モデルたちの表情は穏やかで、シャツの袖やパンツの裾が風の中で小さく揺れる風景を、頭の中に思い描く。

服というより、風景に近い。朝の光や、午後の木陰のような。着る人に寄り添って、溶け込んでいく。そのさまがとても自然で、心地よくて、見ているうちに少し気持ちがほぐれてくる。

パステルよりも淡く、でも水彩画よりもしっかりと輪郭を持つ色づかい。色というより「気配」と呼びたくなる、柔らかい発色。そこには確かな美意識があるのに、それを誰かに見せようとか、何かを主張しようとかいう感じがまったくない。

たとえば、花柄と思しきプリントのシャツ。ぱっと見では抽象的で、よく見ると葉のような、あるいは雲のような模様が浮かんでいる。その曖昧さがむしろ心地よくて、何かに決めつけられない感じが、このブランドの魅力なのだと思った。

デザイナーのサンダー・ラック(Sander Lak)は、かつて「シエス マルジャン(Sies Marjan)」というブランドで一時注目を集めていた。けれどその後、彼は表舞台から姿を消した。でも、数年ぶりに彼の名前が戻ってきて、今回のコレクションを見たとき、私はどこかでほっとした。派手なカムバックでも、再起の宣言でもない。ラックはただ、自分の名を冠した服を、静かに、けれど優しく送り出していた。

▶︎シエス・マルジャンが見せる新潮流
「布の放り投げ感」「マーブルな色使い」。シエス・マルジャン時代のサンダー・ラックを検証する一篇。

そして何より、服を着るということに、過剰な意味づけがされていない。

清潔感はあるけれど、完璧さは求めていない。シャツはボタンを留めきらず、袖は折られ、時には腰に巻かれている。まるで誰かの部屋の窓辺に、ハンガーのまま吊るされていたシャツを、そのまま羽織ったかのように。

そういう「くずし」の美しさが、このコレクションにはあった。

だらしなさではない。ただ、今日一日の始まりにふさわしい服のリズム。それは、整えすぎないことから生まれる、余白のあるエレガンスだ。

ノームコアという言葉がかつて流行したけれど、この服には匿名性よりも親密さがある。

たとえば朝、相手の家で起きたときに、貸してもらったシャツ。似合うかどうかなんてどうでもよくて、ただ、その時にあったことが嬉しい服。そんな感じがする。

気づけば私は、「この服がほしい」ではなく、「この服で朝を迎えたい」と思っていた。

サンダーラックの服には、誰かの日常にやさしく溶け込んでいくための、静かな詩情がある。服が主役になることを望まない服。でも、だからこそ記憶に残る。

一枚のシャツが、朝の光とともに揺れる。
視界の端にいて、でも確かにこちらを見ている。

そういう服と出会う朝をもう一度、始めたくなる。

〈了〉

▶︎世界をフラット化するコシェ
自分のためではなく、誰かのために服をつくる。その真摯さが、静かに心を動かすデザインになる。