AIの力によって画像のみならず、映像生成も容易になってきた時代に、私たちの「見るもの」がリアルなのか否かは、もしかしたら創作の面では、たいした意味を持たなくなってきたのかもしれない。フェイクとリアルの境界は日々曖昧になり、私たちが「見ること」によって情報を得ていたはずの世界では、何を見るかよりも、どう感じるかを問われるようになっている。
そんな時代だからこそ、現実と虚構の狭間をさまよいながら、不安や遊び心をもって“視覚の真実”をずらし続けたシュルレアリスムは、現代に最も必要な視点を持っているように感じられてきた。そう思うきっかけを与えてくれたのは、シュルレアリスムの巨匠マン・レイ(Man Ray)をテーマにした「ヨーク(Yoke)」の2025AWコレクションだった。
ヨークが注目したマン・レイの作品に《贈り物/ Cadeau》(1921年)というものがある。アイロンに鋲を打ち付け、布を滑らかにするというアイロンの目的を失わせた作品だ。道具はその機能を失ったとき、実用性に代わって“どのように見えるか”によって、新たな意味や価値を帯び始める。
本コレクションで大きな関心を抱いたディテールがポケットだった。ポケットとは手を入れるもの、あるいは何かモノを入れる機能を持つディテールだ。しかし、今回のヨークでは、ポケットがその目的を果たしていないアイテムが散見された。
オーソドックスなスタンドカラージャケットには、左右の身頃に三角フラップのポケットが付いている。だが、モデルはジャケットの脇にあるスリットから両手を通している。身頃の裏側から、ポケットの袋布に手を通しているのだろうか。それとも、スリットと思える場所を利用したポケットがあり、その袋布に手を通しているのだろうか。見ているだけでは真実はわからない。
ミリタリーのフライトジャケットを着用したモデルがいる。身頃のポケットに手を入れているが、身頃から袋布に入れた左右の手が飛び出し、シュールな表情を見せている。ルックの佇まいはシリアスだが、どこかコミカルだ。
色褪せた素材感のシャツを着るモデル。身頃にはポケットが不規則なサイズ、不規則な場所に複数取り付けられていた。スタイリングは、シャツとパンツという正統派のメンズルックだというのに、歪なポケットがベーシックの文脈をささやかにかき乱す。
このコレクションはポケットをいくつも配置したアイテムが多く、モデルもパンツのポケットに入れているケースが多い。
人間の手は、時に口以上に人間の意思を語る。食べ物に手を伸ばせば、空腹であることを周囲に伝え、路上で倒れている人に手を伸ばす人がいるなら、助けようとする意思が感じられてくる(昨今、それも難しい時代になっているが)。
ヨークの服は、手を入れるはずのポケットを、本来の意味と形から変容させていた。様々な価値、様々なクリエイターが制作したコンテンツがあふれる今、どの作品に手を伸ばしていいのか迷ってしまう。
楽しいようで戸惑うのが、現代なのかもしれない。ヨークのポケットは、そんな私たちの日常を表しているように感じられた。
Official Website:yoketokyo.com
Instagram:@yoke_tokyo