静かな転換と創作の賭け──アントナン・トロンのバルマン就任

AFFECTUS No.673
ムーブメントを読む #4

これほどにディレクター人事が賑わった時代があっただろうか。昨年から今年にかけて繰り返された退任と就任は、想像以上に多く、激しく、そして大きい。またも新たなニュースが届いた。「バルマン(Balmain)」がオリヴィエ・ルスタン(Olivier Rousteing)の後任として、意外な名前を指名した。その名は「アトライン(Atlein)」のアントナン・トロン(Antonin Tron)。

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この発表を目にした瞬間、驚いた。バルマンといえば、装飾性が高く、豪奢で、肉体を生々しく演出するシルエットを特徴とするブランドだ。ルスタンはその世界観を決定づけたデザイナーだった。一方で、トロンのデザインはミニマルで、ボディコンシャスな布使いを得意とし、クリーンなタッチを生み出す。両者は対照的だと言っていい。

この断層は何を意味するのだろうか。

多くの人が「バルマンは大きく変わる」と感じたはずだ。肉欲的でマキシマムな表現から、洗練されたミニマルな世界観へ。市場の潮流を考えれば、自然な判断のようにも思える。シンプル化への傾き、ボリュームダウンの兆し、長く続いたビッグシルエット時代からの静かな転換。そこに沿う形での人事だ。

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けれど、合理的な判断がそのまま成果に結びつくとは限らない。マキシマムなアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)から、ミニマルなサバト・デ・サルノ(Sabato De Sarno)へ転換した「グッチ(Gucci)」の例のように。合理的であっても、結果は読み切れない。

私たちはしばしば「正しさ」を繰り返す。前年の売上データをもとに新商品を企画し、売れた要素を抽出して反映させる。店頭には前年の延長線にある新商品が並ぶ。同じ構造のリール動画がInstagramに溢れるように。結果が出ている“形式”は、企業の中で強い。

それは、私自身も同じだ。Googleアナリティクス(GA4)で反応の良かったコラムを参考に、その構造を別のコラムに取り入れることがある。よい時もあるし、そうでない時もある。だが、想像を超える成果につながった経験は多くない。

むしろ、世の中の動きを意識せず、自分が強く惹かれたものをその熱のままに書いたときのほうが、大きな反応を得られることがある。ただし、その反応が「安定」することは少ない。個人の感性に傾けた制作には、緩急がある。

合理性と非合理性。論理と直感。計算と感情。どちらも正しく、どちらも不確か。創作における永遠の課題だ。

だからこそ、トロンに期待している。初めて彼のコレクションを見た時から、そのボディコンシャスなミニマリズムには惹かれていた。2017年のLVMHプライズのファイナリスト、2018年のANDAM受賞と、業界内での評価は高い一方で、市場での注目度とは距離があるように感じていた。

今回のバルマン就任が、その距離を埋めるきっかけになるのかもしれない。合理性と非合理性、両方が混ざり合うクリエイションの現場で、この人事がどのような結果を招くのか。バルマンという舞台で、トロンの実力がどのように証明されるのか。デビューコレクションが待ち遠しい。

〈了〉

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