AFFECTUS No.684
ムーブメントを読む #6
今、TikTokを起点に、海外メディアとファッションブランドの間で、メンズウェアのあるアイテムが大きな注目を集めている。その服とは、クォータージップだ。胸元まで開くジップが衿につながった、トラッドな文脈を持つ服である。だが、この服はどこか中途半端でもある。
▶︎新しい日本の文脈と無印良品のデザイン
トレンドに近づきすぎず、離れすぎない。その距離感こそが、無印良品のデザインだった。
→ AFFECTUS No.43(2017.7.10公開)
ジップは途中までしか開かず、スポーティだが完全なスポーツウェアではない。ニットという素材は上品だが、ディテールは本格派トラッドではない。スウェットほどラフではなく、スーツほどの権威性もない。どこにも振り切れていない。
このブームが訪れるまで、クォータージップには、少しおじさんっぽい服という印象があった。ところが、シャツにネクタイを締め、その上からクォータージップを重ねた若い黒人男性が、抹茶ラテを片手にTikTokへ投稿したことで状況は変わる。そのスタイルはバイラルを起こし、ファッションブランドが相次いで新作を打ち出すほどの広がりを見せた。現在、クォータージップは若い黒人男性を中心に浸透している。その熱は「次のファッション」が生まれるのではないかという兆しさえ感じる。
青いシャンブレーのボタンダウンシャツの上に、ライトグレーのクォータージップを着て、ベージュのチノパンを穿く。足元にはヴァンズのOld Skoolを合わせたスケーターが、登場するかもしれない。
海外メディアはこのクォータージップのブームを、若い黒人男性がNike Techなどのストリート寄りスポーツウェアから離れ「クォータージップ」「シャツ」「ネクタイ」「抹茶」といった装いを選び、「大人らしさ」や「きちんとした振る舞い」を身につけようとする動きとして報じている。一方で、このブームを、白人中心の社会に受け入れられるために合わせた装いではないか、という批判も同時に語っている。
しかし、当事者たちは、白人社会に合わせる意図はないと明確に否定する。ただ気分がよく、自信が持てて、楽しいから着ている。仲間と集まるきっかけであり、ポジティブな黒人男性の姿を見せたいという意識もあるという。
注目したいのは、若い黒人男性たちという属性ではない。なぜ、この中途半端な服が、若者たちの心を捉えたのかという点にある。
クォータージップが広がっているのは、10代から20代前半の学生、あるいは20代後半の社会人など、これから確固たるキャリアや立場を築こうとする人々だ。完成された人物ではなく、これからの人間たち。「はっきりした役割を持たない服」が、「はっきりした立場を持たない若者」にフィットしている。
ストリートでもトラッドでもない。その曖昧な位置を、クォータージップは否定しない。
これまでブームとなるファッションには、対立や反逆性が伴うことが多かった。ロックやストリートは、伝統へのカウンターだった。大人への反発、社会のルールからの逸脱。強烈なファッションには、強烈な思想が滲んでいた。
だが、クォータージップは違う。
▶︎TikTokとZ世代が変えるファッション
個性が強まると考えられていた時代に、Z世代は何を求めていたのか。
→ AFFECTUS No.106(2018.11.6公開)
スポーティでありながら、着るとトラッドに見える。反逆ではないファッションだ。若い男性たちは、その中途半端さに惹かれている。何かに強く規定されるわけではない。だが、逸脱するわけでもない。
態度も気持ちも曖昧であることは、優柔不断として評価されやすい
。だが、クォータージップは、その曖昧さをそのまま受け入れる。態度と心理は、同じではないのかもしれない。現代では、自分がどんな人間なのかを、常に証明することが求められる。ラベルを貼らない自分とは、どんな存在なのか。そう考える一方で、完全にラベルを手放すことにも、わずかな不安が残る。
ラベルを貼ることに少し疲れていても、ラベルを完全には手放せない。今はラベルを貼る行為そのものが、心を落ち着かせるのかもしれない。
「どっちつかず」であることは、むしろ誠実なのではないか。
ちょうどいい、自分の証明として。
〈了〉
▶︎『言の葉の庭』とアントワープファッション
好きだと言うこと、弱さをさらすこと。その態度は、どこまで許されているのか。
→ AFFECTUS No.66(2018.6.5公開)
*12月31日(水)の更新はお休みします。次回の最新コラムは、2026年1月4日(日)公開です。