AFFECTUS No.691
ムーブメントを読む #11
近年、シューズは単体で評価されるプロダクトになった。機能や構造、履き心地といった要素が前面に出され、靴はそれ自体で完成した存在として語られるようになった。一方で、その靴を履く人物像や、どのような場面で身につけられるのかといった文脈は、相対的に後景へ退いている。
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本来、靴は服と組み合わされることで意味を持つアイテムである。服装やスタイルによって、靴の役割や印象は大きく変わる。シューズブランドがアパレルに向かい始めるのは、装いの幅を広げるためではない。靴の使われ方や、履く人の姿を再定義する必要に迫られているからだ。
シューズは、足元を覆う道具であると同時に、スタイルの一部でもある。だが靴だけを提示しても、その靴がどのような生活や場面と結びついているのかまでは伝わりにくい。どんな服と合わせ、どんな時間帯に履き、どんな場所を歩くのか。そうした情報が欠けたままでは、靴はスペック以上の意味を持ちにくい。
アパレルは、靴とともに暮らす生活を想像させる役割を担う。服は、靴を履く人物像を立ち上げ、スタイルやシーンの解像度を高める。靴を服とセットで提案することは、靴の使い方を増やし、異なる文脈へと開いていくための手段になる。
靴と服を同時に提示することは、販売点数を増やすための施策ではない。重要なのは、靴が想定するユーザー像を広げられる点にある。靴単体で語られる場合、その価値はどうしても機能や用途に寄りがちになる。一方、服とともに提案されることで、靴は異なる生活圏や場面と結びつき始める。
たとえば、これまでアウトドアやスポーツの文脈で捉えられていたシューズが、都市での移動や日常の装いの中に置かれる。その変化は、靴そのものを変えるというよりも、靴を受け取る側の視点を変える。アパレルを通じて示されるのは、「この靴をどう履くか」ではなく、「この靴とどんな時間を過ごすか」という想像の幅である。
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こうした流れを、具体的な人事として示したのが、「サロモン(Salomon)」によるクリエイティブ体制の刷新だ。同社は初のクリエイティブ・ディレクターとして、フィンランド出身のデザイナー、ヘイキ・サロネン(Heikki Salonen)を迎えた。サロネンは、「MM6 メゾン マルジェラ(MM6 Maison Margiela)」で長年アパレルを手がけ、サロモンのシューズを都市のスタイルへと翻訳してきた人物でもある。
今回の起用が示しているのは、靴の成功をそのまま横展開するのではなく、服を含めた全体像から靴の意味を再設計しようとする姿勢だ。スタジオディレクターには、同じくアパレルのバックグラウンドを持ち、「セリーヌ(Céline)」などで経験を積んだローラ・ハーブスト(Laura Herbst)が就いた。両者は、アパレルとフットウェアを別々に扱うのではなく、同じ視点で束ねる役割を担う。
この体制から見えてくるのは、服を主役に据えたいという意思ではない。アパレルを通じて、人間像やシーンを描き直し、その中で靴をどう履かせるのかを明確にしようとする試みである。サロモンの動きは、シューズブランドがアパレルに向かう必然を、極めて具体的な形で示している。
シューズブランドがアパレルに向かう動きは、ファッション化や事業拡張として語られがちだ。しかし実際に起きているのは、もっと根本的な変化である。靴をどう作るかではなく、靴がどのような生活や時間の中で履かれるのか。その前提を、あらためて組み立て直す必要が生じている。
服は、そのための装置として機能する。服を通じて人間像やシーンが立ち上がることで、靴は初めて具体的な意味を持つ。アパレルに力を入れることは、靴の存在感を薄める行為ではない。むしろ、靴を主役にし続けるために、不可欠な工程になりつつある。
靴が強くなりすぎた時代に、服が求められている。シューズブランドがアパレルに向かう必然は、そこにある。
〈了〉
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