AFFECTUS No.703
コレクションを読む #31
メリル・ロッゲ(Meryll Rogge)の「マルニ(Marni)」がデビューした。発表された2026AWコレクションを見た時、奇妙な感覚を覚えた。これがマルニのコレクションだと認識しない状態で見た際、マルニだと認識するのは少し難しいだろう。マルニらしさは確かに匂う。しかし、マルニっぽいとも言える。
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色彩は落ち着いている。ブラック、グレー、ネイビー、モカ。マルニの代名詞とも言えるビビッドカラーは、ほとんど姿を見せない。プリントも同様だ。ブランドを象徴してきた鮮やかな抽象柄は現れない。柄自体は存在するが、ストライプやチェック、パッチワークはいずれも乾いた色調で構成され、視覚を強く刺激するものではない。
それでも、このコレクションにはマルニの匂いがある。ドットは登場する。花のモチーフもある。多色使いも見られる。だが、それらは従来の方法では表現されていない。ドットはプリントではなく丸型のメタルパーツとして衣服に取り付けられ、抽象柄はニットに開けられた穴で表現される。ブランドのコードは使われているが、ブランドの手法は使われていないのである。
新しいクリエイティブ・ディレクターのデビューコレクションでは、多くの場合、ブランドの象徴的な手法が強調される。ブランドのアイデンティティを明確に示すためだ。しかしロッゲのマルニは、その逆を選んだように見える。マルニのコードを保持しながら、マルニのやり方を意図的に手放しているのである。
デザイナー交代時のブランド更新には、いくつかの方法がある。
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もっとも劇的なのは、ブランドを作り替える方法だ。エディ・スリマン(Hedi Slimane)が「サンローラン(Saint Laurent)」で行ったロック的スリムスタイルへの転換や、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)の「バレンシアガ(Balenciaga)」、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)の「グッチ(Gucci)」のような事例は、この「破壊型」のディレクションに近い。
一方で、ブランドのDNAを尊重する方法もある。マチュー・ブレイジー(Matthieu Blazy)の「シャネル(Chanel)」はその代表例だ。ツイード、カメリア、ブラック&ホワイトといったシャネルの象徴的要素を維持しながら、細部の更新によってブランドの連続性を保つ。最近ではピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)がバレンシアガで、クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga)の立体的な造形とヴァザリア期の美学を共存させる試みも見られる。
しかしロッゲの方法は、このどちらでもない。むしろ近いのはジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)の「ロエベ(Loewe)」だろう。アンダーソンはロエベのレザークラフトというブランドDNAを維持しながら、アート的なコンセプトや新しいシルエットを導入することでブランドを再構成した。ブランドのコードは残しつつ、ブランドの文法を更新する方法である。
ロッゲとアンダーソンを比較すると、アンダーソンは「破壊型」に近く、ロッゲは「尊重型」に近い。アンダーソンは初期のロエベでシグネチャーブランドで披露していたジェンダーレスなスタイルを取り入れたように、自分の美学を強く注入する。現在ディレクターを務める「ディオール(Dior)」でも、アンダーソンの傾向は見られる。
一方ロッゲは、もっとブランドに寄り添っている。ドットや花、多色使いといったマルニの語彙は確かに存在する。その表現方法は変えているだけだ。構造は尊重型に近い。マルニの伝統を捉えながら、その手法は踏襲しない。ロッゲはブランドを再現するのではなく、ブランドを別の方法で組み直しているのである。
だからこそ、デビューコレクションには違和感を感じた。マルニらしいが、マルニっぽく見える。それはロッゲが自分のブラドで見せてきた「上品な下品」に通じるものだ。スレンダーなシルエットを、けばけばしい色で作る。エレガントでありながら、エレガントから遠ざかる。マルニの最新コレクションで最も強く現れたのは、ブランドの伝統よりも、ロッゲ自身のアイデンティティだったのかもしれない。
〈了〉
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