自然であること、自由であること、美しくあること

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AFFECTUS No.28

今回のタイトルは、あるブランドのコンセプトをそのままタイトルとした。しかし、現在そのブランドはもう存在していない。1999年にスタートし、2004年に活動をクローズしてしまったからだ。活動期間はたった5年だった。ブランドの名前は“NAiyMA”といい、読み方は「ナイーマ」になる。ブランド名の由来は、デザイナーが想像する架空の女性の名前だった。デザイナーは「トキオ・クマガイ(Tokio Kumagai)と「ヨウイチ・ナガサワ(Yoichi Nagasawa)」でキャリアを積んだ柳田剛だ。

ナイーマをリアルタイムで知っている人間となると、年齢で言えば2017年時点においては30代後半以降の人たちが該当するだろう。ナイーマは、僕が最も魅了された日本のウィメンズブランドだった。おそらく、僕にとってナイーマほど毎シーズン楽しみにしていた日本のブランドはなかったと思う。

5年という短い活動期間ではあったが、今でもブランドの記憶は残っている。コレクションから感じたのは不思議な違和感であり、その違和感が心の奥底にとどまっている。今でもずっと、とどまっているのだ。ゆえに、僕はナイーマを忘れることがない。いや、忘れることができないと言った方が正しい。

ナイーマを初めて知ったのは2000年12月。『ミスター・ハイファッション(Mr. High Fashion)』2001年2月号を読んだ時だった。

「なぜメンズ誌に女性のブランドが掲載されているのか?」

ジェンダーレスが進行した現代なら、こう疑問を抱く人は少ないかもしれない。だが、当時は違った。メンズファッション誌にウィメンズブランドが掲載されることは稀だった。

当時の僕は自分が着られるメンズウェアにしか興味がなかったため、ウィメンズブランドに関しては無知に近く、興味を抱いてなかった。だから、ミスター・ハイファッションでナイーマを見た時は特別な感想は何一つなかった。しかし、それは最初だけだった。

ナイーマがミスター・ハイファッションに掲載された理由は、デザイナーの柳田が第2回モエ・エ・シャンドン新人デザイナー賞を受賞したからである。受賞記念としてスウェーデン人フォトグラファー、アンドレ・ウルフ(Andre Wolf)が撮影したナイーマのフォトストーリーが、ミスター・ハイファッションに掲載されることになった。

その写真に僕は完璧に魅了された。

8枚すべてのカットがモノクロで、誌面いっぱいに掲載された写真にはダイナミズムを感じ、しかし、モデルの女性がナイーマの服を身にまとって一人佇む姿には、不思議なニュアンスを含んだ服とともに静かで美しいエレガンスが写し出されていた。それまでまったくウィメンズウェアに興味のなかった僕が、一瞬にしてファッションの新しい魅力を知ることになった。

僕なりにナイーマの服を一言で表現するなら「違和感のあるエレガンス」になる。ウルフが写した写真にもナイーマの特徴は現れている。

一枚の写真がある。場所はビルの屋上。画面右後方に高層ビルが写され、左側にはジャケットとパンツが着たモデルが左手にモエ・エ・シャンドンの瓶を持ち、瓶の口からはシャンパンが溢れ、風に乗って画面右側へ、高層ビルの上をまたいでいくように流れていく。モデルの顔は首から上が切り取られ、写し出されていない。ナイーマの「違和感あるエレガンス」を見事に捉えた写真である。

写真ではモデルの穿いているパンツに目がとまる。股下が膝上まで落とされ、細いウェストベルトから伸びる通常よりも長いダーツは、ファスナーのあき止りをほんの少し超えて止まる。脇線は大腿部あたりまで外へ張り出し、そこから裾に向かってなだらかにややテーパードしてパンツ全体では台形シルエットを描き、レングスは膝下10cmほどでカットされていた。一見すると、スカートにも見えるキュロットだった。

ナイーマはシンプルな服に違和感を持ち込む。

「なぜ、そんなディテールを入れるの?」
「なぜそんなシルエットにするの?」

それら違和感がなければ、おそらく多くの人たちが美しいと感じる服となるはずなのに、わざわざ美しさを崩して、人々を惑わす。そうして生まれた違和感が、服のあらゆる箇所に心を惹く謎となって散らばり、最終的には王道のエレガンスにフィニッシュするのがナイーマだった。

代官山にあったブランドのショップも、唯一無二の存在感が発揮されていた。代官山駅のそばにあった建物の二階にナイーマのショップはあり、階段を上りドアを抜けると、そこにはそれまで見たこともない光景が広がっていた。フロアには白い砂が一面に敷き詰められている。まるで砂漠だった。ショップを訪れた人間は、足で砂を踏み締める感触を感じながら、手でナイーマの違和感あるエレガンスに触れることになる。僕がショップに圧倒的創造性を感じたのは、ナイーマ以外では恵比寿にオープンした「マルタン・マルジェラ(Martin Margiela0)のショップだけだった。

僕はナイーマのことが好きだった。これから、5年10年と経てばナイーマを覚えている人は今よりもきっと減っていくに違いない。そこにファッションの悲しさを感じる。ファッションでは新しさが最も注目を浴び、常に今が新しい。しかし、そんな悲しさもファッションの魅力なんだろう。だから僕はナイーマが好きだ。憂いのある女性には惹かれてしまう。

〈了〉

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