モードはジェンダーレスの次を提示する

AFFECTUS No.153

時代は変化する。その変化と共に新しい価値観が生まれてくる。新しい価値観はファッションを更新する。モードは時代の価値観を反映し、さらにはその方向性を示す役割を担っている。そう言うのは、決して大げさではない。そのことは、次々に新しい生き方の象徴となるファッションを発表してきたモードの歴史が物語っている。

現在、ファッションで注目されるトレンドをリストアップすると、そのリストにジェンダーレスが入るのは間違いない。ジェンダーレスは一時のトレンドという枠を超え、ファッションの普遍的要素へのシフトを始め、デザイナーの必須科目にすらなっている。

モードの歴史を見ていくと、デザイナーたちが取り組まなくてはならない、その時代だからこその共通テーマ(必須科目)が存在していることに気づく。現代に置き換えるなら、ストリートファッションがモードシーンに躍り出てからはビッグシルエットがデザイナーたちの必須科目になり、今ではジェンダーレスが必須科目の領域にまで到達している。モードデザイナーは時代が提示する科目に対して自らの解答を示すことが求められ、その力量を証明することがデザイナーの価値を高めていく。

ジェンダーレスの必須科目化を証明するように、以前にも増してメンズ・ウィメンズ両方のコレクションを同時発表するブランドが増加している。2020SSメンズコレクションにおいても、メンズ・ウィメンズの同時発表は顕著であり、メンズコレクション期間中にウィメンズウェアがこれほどまでに数多く発表されるのは稀で、時代が確実に変わっていることを僕は実感する。

コレクションテーマとして珍しくなくなったジェンダーレス。だが、ジェンダーレスの次を提示する兆候が2020SSメンズコレクションでは現れ始める。それはエイジレス。性別の境界の次に、年齢の境界を超えるエレガンスの模索が始まった。

ファッションショーに起用されるモデルといえば、男女共に20代前半の若いモデルが圧倒的に多い。だけど、2020SSメンズコレクションでは若いモデルたちに混じり「おじさん」のモデルたちを登場させるブランドが多数現れ始めた。

中でもとびっきりの輝きを放ったのが、今回はピッティ・イマジネ・ウォモでコレクションを発表したサルバトーレ・フェラガモ。フェラガモといえば靴。だが、1967年にウィメンズウェアのプレタポルテを始めたようにアパレルの歴史は思った以上に古く、ここ数シーズン、僕はフェラガモのコレクションがハイクオリティのデザインであることに気づき、毎シーズン欠かさず見るようになっていた。

2020SSシーズン、フェラガモは必須科目化したジェンダーレスに応えるように、ピッティという歴史あるメンズウェアの見本市という場でも、メンズ・ウィメンズの両カテゴリーを発表するのだが、若いモデルたちと共に渋さを異様に醸すミドルエイジの男性たちをランウェイに登場させる。

バレンシアガでデムナ・ヴァザリアがお父さんスタイルの「ダッドスタイル」を発表して以降、トレンドにおじさんテイストが拡大した。だが、焦点を当てられたのはミドルエイジの男性スタイルが持つ「ダサさ」であり、ダサさをクールとする構造だった。

けれど、フェラガモがそのコンテクストにカウンターを放つ。ダサさをカッコイイとするのではなく、カッコよさをカッコイイとする正統派アプローチでもって。

白髪が混じり、額が広く、無精髭を生やしたミドルな男性モデルたちはコレクションの中で異彩を放つ。文章だけ読むと、彼らの存在が華やかなファッションショーには場違いに思えてくる。だが、フェラガモの上質な美を備える服を纏った彼らは、若いモデルたちからは感じられないエレガンスが立ち上がっていた。それはクラシックと言える美だった。経験という時間の投資と引き換えに育つ本物のクラシックエレガンスを身に纏う「おじさんたち」は、ランウェイで最高に美しく輝く。

ダサさをカッコイイとするのは今の時代の流れ。価値観を転換するという意味で、そのアプローチには大きな意味がある。だが「カッコよさをカッコイイ」とする正統派アプローチを忘れてはいけない。

フェラガモのディレクションを担うのはポール・アンドリュー。そして彼の下でメンズウェアデザインのトップを務めるのが、スタジオディレクターのギョーム・メイアン。ショーのフィナーレで彼らは誇らしげに姿を見せる。正統派アプローチを見せたふたりに僕は賛辞を送りたくなる。

アンドリューとメイアンの提示した本物の「ミドルスタイル」は、流行を超えた永遠のエレガンスを放つ。

今、時代は次の美の模索を始める。

〈了〉

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