AFFECTUS No.166
『攻殻機動隊』というアニメをご存知の方もいるだろう。漫画家の士郎正宗による同名の作品を原作に1995年に映画化され、2002年にはテレビアニメシリーズが放映された作品である。時代は21世紀、第3次核大戦とアジアが勝利した第4次非核大戦後の科学技術が発達した日本を舞台に、サイボーグ化した人間は脳が直接インターネットとつながることができ(作中では「電脳」と呼ぶ)、内務省直轄の攻性公安警察組織「公安9課」(通称「攻殻機動隊」)の活動を描いたアニメだ。
来年2020年には、Netflixから3DCGで制作されたオリジナルアニメとして新シリーズの公開も決定し、アニメシリーズ開始から17年の時を経て現在注目度が再び高まっている。
冒頭からなぜ攻殻機動隊の話を始めたのか。
それは攻殻機動隊が持つ近未来的世界観と、今回ピックアップするブランドの世界観が重なったからだった。サイバー空間のストリートウェア。電脳空間を生きる為のトラックスーツ。そう呼びたくなるコレクションを披露するブランドの名は、ロンドンを拠点に活動する「コットワイラー(COTTWEILER)」。デザイナーはベン・コットウェル(Ben Cottrell)とマシュー・デインティ(Matthew Dainty)の男性デュオである。
コットワイラーは2010年にTumblrでローンチするという異色の方法で始まる。当初は限られたアイテム数での発表だったが注目度と人気を高めていき、ロンドンメンズコレクションで発表というステージまで駆け上がっていく。
コットワイラーのコレクションを見ていると、瞬時に感じられるものがある。それはスポーツウェアの匂いだ。トレーニングウェア、ショートパンツ、ウインドブレーカー。スポーツウェアの残像がコレクションのあちこちで散見される。
ファッションブランドにはブランドの代名詞となるアイテムの開発が必要だ。消費者がブランドの名を耳にしたとき、ブランドのスタイルと連動してアイテムを消費者の頭の中に浮かび上がらせることができるなら、ブランド認知度を高める要因となる。
ファッションアイテムの主役とは言えないジャージをブランドのシグネチャーアイテムに選択した時点で、コットワイラーはオリジナリティを獲得している。
だが、コットワイラーのアイテムからは健康的なスポーツの匂いが皆無に近い。消失していると言った方が適切だ。スポーツウェアの形をした何か他の服。スポーツとは別の目的で作られた服。コットワイラーのスポーツウェアには、そう形容するのが一番正しいと思わせる説得力がある。このイメージのズレが、コットワイラーの印象を記憶に残す仕掛けになっている。
ベンとマシューの二人は、どのようにしてスポーツウェアからスポーツの匂いを消しているのだろうか。
彼らはイメージのスライドを活用していた。
スポーツウェアという単語を耳にした時、どのようなイメージを浮かべるだろう。おそらくアディダスやプーマ、ナイキといった巨大スポーツメーカー、スポーツ選手やスポーツをする際に着用するトレーニングウェアを思い浮かべるのではないか。
その連想は、現代の人々の中では共通の感覚だと言える。コットワイラーはスポーツに付随する世界共通の感覚にズレを引き起こす。従来のスポーツウェアにはないイメージを、別世界から引っ張ってきて滑り込ませるのだ。
引っ張ってきたイメージが、冒頭で述べたサイバーなイメージだった。
サイバーなイメージを決定づける要因となっているのは色の発色。ブルー、レッド、グリーン、イエロー、パープル。色名だけをたどると、色彩の鮮やかさと明るさを感じさせるかもしれない。しかし、コットワイラーの世界でそれらの色は鈍い光を放つように、ほんのりとくすんでいて暗さを帯びている。色が世界を明るくしていないのだ。
仕掛けは色だけではなく素材にも施されている。クリンクル加工(生地を皺状に縮れさせる加工)の施されたジャージパンツ、「COTTWEILER」のブランドロゴから派生した模様をプリントしたブラックのジャージパンツは、アディダスやナイキのアイテムからは感じられないサイバー&ダークなムードが充満している。
シルエットにも洗練さが漂う。たしかに外観はジャージなのだが、コットワイラーのトラックスーツ(上下をジャージで揃えたセットアップ)は、シルク製のブラックスーツを着用したかのようなシックで艶のある色気をシルエットから放つ。
スポーツを軸にしたスタイルなら、そこにあえてウールのテーラードジャケットやコートを合わせるスタイリングも浮かんでくる。しかし、コットワイラーはクラシックなファッション性には近づかない。アウター類にはナイロンやダウン、スタンドカラー、フロントがファスナー仕立てなど、スポーツウェアとしての領域から攻めていく。トップスにしてもスウェットやカットソー、ポロシャツタイプが多い。
ショーのフィナーレに登場するベンとマシューの服装も上下スウェット姿で登場するなど(その佇まいはとてもクールだが)、スポーツウェアスタイルに注力している。
スポーツウェアに潜んでいたファッション性を引き出し、スポーツをしていない人間であってもクールなアイテムとしての価値を感じさせることに成功したブランド、それがコットワイラーと言えよう。
人間は言葉を意味とイメージのセットで覚えている。世界に存在する言葉には前提となるイメージがあり、言葉を聞いた瞬間、人間の頭にはイメージが立ち上がる。
例えば「トレンチコート」という言葉からはどのようなイメージが浮かぶだろうか。ベージュという色だろうか。衿の形だろうか。それともAラインのシルエット?
その立ち上がったトレンチコートのイメージにズレを生じさせる要素を持つトレンチコートに遭遇すると人間は心が揺れて、その心の揺れが記憶に印象付けられる。ファッションデザインはイメージのズレを起こす作業と言える。
イメージにズレを起こす作業を、抽象的でアヴァンギャルドな造形を用いれば強いインパクトを生むことができる。しかし、モードという先端性と創造性を競い合う舞台では、その手法は今や特別ではなくなった。リアルでありながらアヴァンギャルド。そういうファッションが現代のモードでは希少価値がある。
スポーツウェアという極めてリアルなスタイルの中にサイバー&ダークなイメージをスライドさせたことで、コットワイラーは独自世界の構築に成功した。そのような世界を構築できたのも、ベンとマシューが広い視野を持っているからだ。
「数年前、誰もが未来はタッチスクリーンの電話だと思っていた。今、みんな指紋がべっとり付いた、へこんで粉々になったタッチスクリーンの電話を持ち歩いている」SSENSE「COTTWEILER 2016年秋冬コレクションにおけるリサーチ」より
マシューのこの言葉は、コットワイラーの美意識を示している。輝かしい一面だけを見ているのではない。価値があるとされるものの、薄汚れた一面をコットワイラーは発見する。近未来感があるといっても、コットワイラーのそれはポジティブでクリーンなタイプではない。未来が作られていく過程で派生する見落とされてしまう陰の部分、そこをコットワイラーはすくい上げ具現化する。
だからこそ、コットワイラーのコレクションは近未来の公安警察の活動を描く攻殻機動隊のダーク&サイバーな世界観と重なり合う。
「未来」という言葉にどのようなイメージを浮かべるだろうか。コットワイラーは未来のイメージにも我々に「ズレ」を引き起こす。
〈了〉