GmbHは揺さぶる

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AFFECTUS No.203

一見意味のないアルファベットを羅列しただけのブランド名に見えるベルリンのGmbH(ゲーエムベーハー)。2016年にGmbHを設立するにあたり、中心となったのは二人の人物だった。ファッションフォトグラファーのベンジャミン・アレクサンダー・ヒュズビー(Benjamin Alexander Huseby)とメンズウェアデザイナーのセルハト・イシック(Serhat Isik)である。彼らが中心となり、ベルリンのクラブのダンスフロアで出会った10人ほどの友人たちと共に、GmbHはスタートする。

ブランド名はドイツ語で「会社」を意味し、ヒュズビーとイシックは特定の個人の名をブランド名にするのではなく、記号とも言える単語をブランドの名前とした。ベルリンは多くの移民が住み、そんな街を活動拠点にするGmbHは多人種・異性愛・同性愛・国境・文化を隔てることなく、境界を曖昧化し、世界をフラットな視線で眺めたコレクションを制作し続けてきた。

GmbHを語るに一つのストーリーがある。ブランド創業当初、資金難から素材の確保に苦戦していた彼らはデッドストックの生地、使用用途が決まらぬまま放置されていた生地を用いてデビューコレクションを制作する。その結果完成した服は、一着の服の中でいくつもの切り替えが交差し、シンプルなシルエットのワークウェアを思わす服がブランドの背景となるベルリンのクラブカルチャーと一体化し、モードな存在感を作り上げることに成功する。

以降、切り替えを多用した構造はブランドを象徴するデザインとなり、現在にまで至る。GmbHはストリートウェアにカテゴライズできるが、僕がGmbHの服から捉えるイメージは先ほど述べたようにワークウェアである。厳密に言えば、ワークウェアそのものを指すのではなく、労働者階級のために作られたモードなウェア。それが僕にとってのGmbHというブランドのイメージだった。

モードファッションは着る人物を限定するものではない。限定するなら、それは着る人間の精神だ。ファッションを通して自分の精神性をクリエイティブに表現し、楽しみたい。そう思う人間なら、人種・国籍・性別・富の多寡に関わらず誰もが着ることのできる自由な服である。モードは、デザイナーが自身の精神世界を表現した独善的な服に見られることが多い。しかし、その認識は多くの点で間違っている。市場で人気を獲得するブランドは、デザイナーが誰かのためを思い、作られた服だ。それはGmbHも同様である。

ヒュズビーはノルウェー系パキスタン人であり、イシックはトルコ系ドイツ人だった。そのような文化的背景を持つがゆえ、二人は中東系として不当な扱いを受けた経験を述べている。このような体験を経たとき、その後の人間の行動は二つに別れる。一つは、自分が受けた不当な扱いを他者へも強いるという行動。もう一つは、自分の受けた不当な体験を他の人間には味わせたくないという思いからくる行動。ヒュズビーとイシックは後者だった。だからこそ、ブランド名にデザイナーである自分たちの名前を冠せず、様々な人々が働く会社を意味する「GmbH」をブランドの名前に選び、モデルに多様な人種を起用し、世界のファッションの中心地パリでショーを通して世界には多くの人種と異なる文化が存在することを訴える。

華やかな美しさと贅を凝らした服だけがモードではない。モードは世界に対して平等だ。もし必要なものがするとすれば、それは勇気だろう。デザイン性の強い服を着ることで、他者から冷たい視線を浴び、冷笑されることもある。そのことを想像したとき、怖気付いたとしても不思議ではない。だが、真にモードな服はそんな不安を押しのけ、奮い立つパワーをもたらす。着る前と着た後では、自分の中の何かが変わったのではないかと錯覚させるほどのパワーを。

僕らは服を着て暮らすことが当たり前の世界を生きている。その服から勇気がもらえるなら、世界が自分に対して冷たく、傷つけることがあったとしても、生きていける。

意味がないと思えたブランドの名には意味がある。GmbHはファッションを通し、不当な価値観を強いる社会を揺さぶっていく。

〈了〉

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