早熟の才能オリヴィエ・ティスケンス -2-

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AFFECTUS No.209

オリヴィエ・ティスケンス(Olivier Theyskens)はわずか21歳の若さでパリデビューを飾る。1998AWシーズンのことである。時代はヘルムート・ラング(Helmut Lang)やジル・サンダー(Jil Sander)といったミニマリズムがトレンドを支配していた。ティスケンスが発表したコレクションは、時代の文脈を捉えながらも世界でも稀な、いや歴史上でも特異なデザインを披露する。

コレクション全体を支配するドレスライクなシルエットは、スカートのレングスは裾が床に到達するほど長く、ジャケットはウェストがコルセットのようにシェイプがきつく、袖山が盛り上がっている。まるで中世ヨーロッパの上流階級の女性たちが着用する衣装のようである。それらの服が、煌びやかな刺繍が施された中世ヨーロッパの衣装とは異なり、色は黒を多用して刺繍や柄といった装飾性が抑制されている。

ただし、装飾性が完璧に排除されているわけではなく、奇妙な形によって表現されていた。女性モデルはマネキンから取り外したような右手首状のヘッドピースを頭部に置いている。右手首が頭を掴んでいるという何ともシュールな光景だ。やや燻んだ白の全身タイツのようなアイテムを着用する女性モデルが現れるのだが、そのアイテムの表面に柄が施されている。柄は全身に行き渡る血管のようであり、血管は心臓付近では赤い色をしているが、心臓から遠くなると色を赤から紫へと変え、生命というよりも「死」のイメージを連想させるダークさが立ち上がっていた。

コレクションに使用された色は黒だけでなく赤とベージュも登場するが、印象はどこまでもシュール。フロントを留めるのに釦ではなくカギホックを使用する点も、中世ヨーロッパの衣装的である。トップスのパターンを縦の切り替え線を何本も使って表現している点も、これまた上半身にフィットする中世ヨーロッパの衣装を思い起こす。

僕がティスケンスの1998AWコレクションを見ていて浮かび上がってきたのは、ヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivienne Westwood)やジョン・ガリアーノ(John Galliano)のように歴史から引用してドラマティックなコレクションを作り上げるデザイナーたちである。しかしティスケンスと、ウェストウッドやガリアーノでは明確に異なる点がシルエットに現れている。ティスケンスが作ったシルエットの差異が、ミニマリズムという時代のトレンドを捉えているのだ。

ウェストウッドやガリアーノのシルエットは劇画的である。大胆な迫力が迫ってくる。しかし、ティスケンスが1998AWコレクションで披露したシルエットにはそのような劇画的な要素はなく、身体のラインにきつくフィットするロング&リーンのシルエットがデザインされていた。シルエットに過剰な要素は入れず、女性の身体のラインを生々しく表現する点はミニマリズム、正確にいうならば「最小限のデザイン」という時代の文脈にしっかりと乗っていることが、ティスケンスのデザインを歴史的要素を感じさせながらも古臭さを感じさせない、つまりモダニティを作り上げていた要因になる。

ティスケンスはコレクションで、肌を透かすトランスペアレントな素材を幾度も登場させてモデルたちの裸体を意識させたり、上半身に服を着用させず胸を露わにさせるルックも登場させ、ウェストウッドやガリアーノのダイナミズムとは対極のミニマリズムをシュールな空気に乗せてデザインしている。

黒を多用するロング&リーンシルエットは、もう一つのデザイナーの存在を僕に思い浮かばせた。アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)である。アンはコレクションのほとんどを黒が支配する。黒が彼女のシグネチャーカラーである。過剰な要素はシルエットに入れず、カッティングの複雑さをほんのりと加味しながら、ロング&リーンで退廃的ダークロマンティックな世界を作り上げる。

外観からのイメージだけを捉えるとアンと同種の空気を感じるティスケンスだが、コレクションを詳細に観察するとアンとは全く異なるポジションであることがわかる。それは冒頭で述べたシュールであり、もう一つ加えるならホラーな要素である。ティスケンスの世界には「怖さ」が感じられてくる。墓場から蘇った中世の美しい女性が、黒く染まった中世ヨーロッパの服を着て深夜の森を彷徨う。そのような世界はアンにはないものであり、ダークロマンティックという文脈においてもティスケンスは、ホラーという要素を組み込むことで異なる軸を刻んでいた。

なぜ、ティスケンスからは中世ヨーロッパやシュール、ホラーな要素が感じられるのか。それこそが彼のアイデンティティだったからである。Vogue Runwayに掲載されたレビューによると、1998AWコレクションでティスケンスは、フィレンツェの解剖学の研究や、17~18世紀、そしてビーズやレースを使った19世紀末のものを見ることが好きだったと述べている。それらはティスケンスにとって「情熱」の対象であった。彼が愛し続けてきたもの=アイデンティティが表現され、それが1990年代後半の最小限デザインという文脈(トレンド)に乗った形で表現され、同時代で同じイメージを抱くデザイナーたちは異なる軸を表現していた。これが、21歳の若者が成し遂げたことであった。

結果、ティスケンスのコレクションにはファッション史上に特異な位置を示すことになる。だからこその彼への評価の高さになったのではないかと僕は推測する。デザイナーのデザインするファッションが高い評価を獲得する時、それはかなりの高確率でファッションデザインの文脈(トレンド)において独自のポジションを示した時である。これをナチュラルにこなしてしまうのが世界のトップデザイナーだろう。

僕はティスケンスが提示する女性像を「悪魔な妖精」と呼びたくなる。彼が見せる女性たちは美しくも妖しい。このような女性像を、ティスケンスが登場するまでに提示したファッションデザイナーがいたであろうか。少なくともモードの舞台にはいなかったのではないか。彼は女性像のデザインにおいてもオリジナルな存在だったのだ。

ティスケンスはこれらのことを独学で習得していた。前回述べたように彼は専門的なファッションデザインの教育を途中で放棄する形になってしまい、有名デザイナーの下でアシスタントとして何年も修行するといった経験に欠けている。しかし、それでも独自のクオリティを持つデザインをハイレベルで見せてしまった。

様々なブランドでディレクターを務め、コレクションは高評価を獲得するが、ビジネス的には不調に終わってしまう。それがティスケンスだった。彼のデザインは非日常的な側面が強く、現代の女性たちが着用したくなるリアリティに乏しい。彼のデザインはマーケットが狭い。それはこれまでティスケンスが積んできたキャリアが物語っている。しかし、ティスケンスがその才能を最も輝かせる場所は存在する。オートクチュールだ。

今年2月、ティスケンスが「アザロ(Azzaro)」のアーティスティック・ディレクター就任が発表された。アザロでティスケンスはプレタポルテだけでなく、クチュールも手掛ける。デビューコレクションは2020AWパリ・オートクチュール・ファッションウイーク。長らくクチュールから離れていたティスケンスが自身の才能を解放する時が訪れた。

〈了〉

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