論理と感性を手懐けた人間が、世界の頂へ手を伸ばせる

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AFFECTUS No.210

僕はシンプルにデザインされた服が好きだ。装飾的なディテールやグラフィックは皆無に近く、布の分量感を楽しむ服。それが僕にとってのシンプルにデザインされた服であり、ありふれたベーシックな服にほんのりと新鮮な解釈が加わったデザインは、見ていても着ていても軽さが感じられて快適で心地よい。しかしながら、消費者という視点からデザイナーという視点へ切り替えると、新商品であっても旧商品と比べデザインの変化量が乏しいシンプルなデザインの服で、ビジネスを継続し続ける難しさが迫ってくる。

シンプルな服とは、デザインのハードルがとても高いカテゴリーになる。

先日、ある住宅の写真を眺めていると不思議な感覚に襲われた。その住宅に特別な驚きはない。住宅設計のスタンダードとも言えるデザインである。だが、そう理解したにもかかわらず、それまで目にしてきた同類の住宅デザインでは感じたことのない魅力を感じたのだ。僕にそんな感覚を覚えさせたのは『Casa BRUTUS』2019年2月号に掲載されていた、「HYKE(ハイク)」のデザイナー吉原秀明氏と大出由紀子氏が新たに建てた自邸だった。

記事では、吉原氏がどのような考えで自邸の設計を建築家に依頼し、どのように建築家と共に取り組んでいったのか、その内容が書かれている。吉原氏がセレクトしたダイニングテーブル・ソファ・冷蔵庫・食洗機・水栓・バスタブなど、生活を彩るために欠かすことのできない家具・家電・パーツがブランド名と一部価格も記され、当代随一の人気デザイナーがどんな家具を選んだのか、それを知るだけでも楽しめる記事である。

記事の詳細な内容を記すことは控えるが、自邸を建てるにあたり吉原氏が建築家(名前は控えたい)に伝えたことがあり、それを記事から引用する。

「家づくりに際して、吉原さんには『ル・コルビュジエ』と『昭和の一戸建て』のイメージがあった」『Casa BRUTUS』2019年2月号「HYKEの家づくりから読み解く、美しい家のエレメント。」より

この一文の中で僕が惹かれた単語は「ル・コルビュジエ」だった。

ご存知の方もいるだろう。ル・コルビュジエ(Le Corbusier)はレンガや石による建築が伝統だった西洋住宅に、コンクリートを用いたシンプルなデザインの住宅を設計したモダニズム建築の巨匠と言われる建築家である。代表作には「サヴォア邸」があげられる。

記事の一文を読んだ後、掲載されていた吉原氏の自邸外観写真を眺めると、たしかにル・コルビュジエのイメージが立ち上がってくる。白を基調にした、曲線が排除された直線の立方体でシンプルかつクリーンなデザインである。内装デザインも驚きとは無縁の、白い壁とオーク材のフローリング、ステンレスの天板、アンティーク家具など、いずれも気を衒わないデザインと素材の組み合わせで、同様の組み合わせの内装デザインは様々な住宅建築誌やウェブサイトで目にすることができる。

先ほど述べたようにスタンダードと呼ぶことがふさわしいデザインなのだ。しかし、住宅の内部には整然とした美しさと、その美しさが生む緊張感が、特別新しくはないはずの内装を特別な魅力を持つ空間へと変貌させていた。なぜスタンダードなデザインに惹かれたのか。これまで僕が見てきたスタンダードデザインとは違う何かがあったから惹かれたはずで、その何かとは何だったのか。

感じられてきたのは調和の探求だった。特別新しくはない組み合わせのスタンダードデザイン、けれど施主である吉原氏が求める美しさを目指し、建築家と共に探求し尽くした後が伺える緻密さが感じられてくるのだ。ダイニングやリビングに配置された家具の場所も、どの場所に置くことが最も美しいのかを考えに考えて、ようやく導き出された類の整然さが表現されており、一分の無駄も隙もない。緻密な整然さは、キッチン・スタディールーム・バスルーム・パウダールームと、あらゆる空間に徹底されていた。

シンプルなのだが、探究の果てに辿りついたシンプルであって、そこには美しさが待っていた。そう述べることが最もふさわしい住宅である。

僕はこのアプローチを、シンプルな服をデザインする方法にも転用できるのではないかと考えた。シンプルなデザインをDNAとするブランドは、シーズン毎に大幅な変化を加えることは顧客に嫌悪されてしまう。それは最もなことだ。顧客は変わることのないデザインの良さに惹かれて、ブランドのファンになっているのだから。

しかし、商品に変化が何一つ生じなければ顧客は次第に離れ、売上は低下していく。それはシンプルな服が信条のブランドを愛する顧客であってもだ。ミニマリズムにしろ、アヴァンギャルドにしろ、ファッションには変化が必須なのである。変化なくしてファッションは顧客の支持を獲得し続けることはできない。

服に必要な変化は、時代の変遷と共に変わった価値観を取り入れることでデザインできる。一見、変化を取り入れることが難しいシンプルなデザインの服なら、一旦服を構成する要素を形・素材・色といった具合に分解してみる。シャツならシャツのシルエットや衿といった服の「形」、シャツに使用するコットンの質感や色味という「素材」と「色」といった具合に服の構成要素を分解し、各構成要素に今求められるモダンな要素とは何か、それらの要素をどう組み合わせることが最も美しいのか、その調和を徹底的に探求する。

調和の探求を繰り返すことによって、変わることを良しとしない服に必要な変化を過剰に表現することなくデザインできるのではないか。感性に委ねてデザインする印象が強いファッションでは、地味でロジカルなアプローチとも言える。だが、僕はシンプルな服ほどロジカルな思考が必要に思える。

だが、最後には矛盾も必要になる。服の構成要素を分解し、論理的に調和を探求し、何が美しいかという最後の判断はデザイナーの感性に委ね、直感的に行う。一見非合理に思えることがファッションデザインでは結果的に最も合理的であることが多い。しかし、そこにはデザイナーが「今」という時代をこれでもかと見つめ抜いた上での、という前提条件を備わって初めて実現される。時代を無視したデザイナーの感性による判断ほど、危険なことはない。

ファッションは想像を超えてこそ消費者を刺激する。合理的な判断と手法だけでは、想像は超えられない。時には常軌を逸したと思える判断が必要であり、その判断もまたデザインと言える。判断のデザインに特化した仕事が、ラグジュアリーブランドのクリエイティブ・ディレクターたちであり、奇才たちの想像を超えた判断が消費者を刺激していく。

シンプルな服とは変わらない服のことではなく、変化をミニマムにデザインした服のことである。ファッションデザインのカテゴリーの中でもシンプルさを特徴とする服は、ロジカルな思考で行う住宅設計からアプローチを学ぶ余地が多い。世界に新しさをもたらすのは、いつだって異なる世界への探求心である。そして最後は、感性に委ねる。論理と感性を手懐けた人間が、世界の頂へ手を伸ばせる。

〈了〉

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