AFFECTUS No.211
2010年代のファッションシーンに登場したデザイナーたちの中で、その影響力から僕がトップ3と考えるデザイナーたちがいる。一人目は、ストリート×マルジェラ×アグリーの方程式でファッション界を席巻したデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)。二人目は、色気たっぷりのブランド像を変貌させ、アダルトなチルドレンという不可思議な美意識を作り出した「グッチ(Gucci)」のアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)である。そして最後の三人目は、世界中で議論を呼ぶことになったジェンダーレスをいち早くファッション界で議題として提示したとも言えるジョナサン・ウィリアム・アンダーソン(Jonathan William Anderson)だ。
このトップ3の中で、僕が最も時代の波を捉え、先端的に表現する能力に優れていると考えているのがアンダーソンになる。彼はその能力をパンデミック時代に遺憾なく発揮した。先ごろ発表された最新2021SSコレクションは、アンダーソンの際立つ才能を改めて証明することになる。
新型コロナウィルスの拡大感染により、ファッションウィークはオンライン開催へ舵を切ることになったが、どの都市よりも先んじて開催されたロンドンファッションウィークはやはりロックダウン(都市封鎖)による影響だろうか、参加ブランドは最新コレクションの発表とはいかず、先シーズンの2020AWコレクションに関連するイメージ映像などブランドイメージを発信するコンテンツの発表にとどまる印象を受けた。
世界を覆う新型コロナウィルスの脅威によって、コレクション制作どころか通常の生活さえ満足に過ごせない現状を思えば、それは致し方ない結果ではある。だが、そのことを理解はしているが、ロンドンファッションウィーク開催前に僕が抱いていた最新コレクション発表という期待が生んだ胸の高鳴りは、連日発表されるコンテンツを見るにつれて急速に萎んでいったのも事実だった。
しかし、萎んでしまった期待をアンダーソンが再び高めてくれる。
アンダーソンは6月にオンライン開催されたロンドンファッションウィークには参加しておらず、時期を7月にずらしての単独発表となった。期間を数週間ずらしたことがコレクションの制作時間確保に繋がったかは定かではないが、発表されたコレクションを見るにプラスへ働いたと言えよう。彼はファッション界の慣習にカウンターを仕掛けてきた。
ファッションブランドが発表する最新コレクションのビジュアルと言えば、どのような風景を思い浮かべるだろうか。人々を魅了するエレガンスを持つ最高のモデルたちに、クールでモダンなスタジオ、もしくは幻想的な屋外空間を背景に撮影された創造性の極致を思わせる写真。そんなビジュアルを制作することが、ファッションブランドにおける常識だった。しかし、近年その流れに抗うような、なんでもない日常の街角やアトリエや工場などの制作現場といった、それまでならファッションビジュアルの背景にはおよそ似つかわしくない場を選ぶブランドが増えていた。
起用するモデルにも変化が現れる。デムナ・ヴァザリアは自身が設立した「ヴェトモン(Vetements)」で、プロフェッショナルのモデルたちではなく、およそこれまでモデル活動などしたことがないであろう市井の人々をモデルに起用し、最新コレクションビジュアルの発表やランウェイショーを開催してきた。他ブランドでもショーに起用されるモデルにアジア人が増加し、ファッション界では常識と考えられていた価値観に楔を打ち込むアクションが見え始める。
アンダーソンが2021SSシーズンに発表したコレクションはその流れをさらに加速させる、いや、新たなる文脈を作り出すものであった。
ビジュアルを用いてのメンズ&ウィメンズ同時発表となったが、両ラインに起用されたモデルたちにまず驚かされる。アンダーソンが起用したモデルは、服を着せつける際に用いる人体ボディだった。しかも、そのボディはショップのディスプレイに使用される人間の形をしたリアルなタイプではなく、デザイナーやパタンナーといったファッションデザインのプロたちが主に用いる、一本のスタンドで立つ簡易な形状のボディだった。
発表する最新コレクションは、ブランドの年間売上を左右する非常に重要なものである。だからこそ完成度の高いビジュアルで発表し、真っ先に最新コレクションを見て世界(市場)へ伝達することになるバイヤーやメディアにはハイクオリティのイメージを訴える必要がある。だが、アンダーソンが発表したビジュアルは簡易なボディに最新コレクションを着用させ、メンズウェアでは人間の頭部に該当する箇所に男性の顔形イラストを取り付けだけの、これまた最先端ファッションを発表するモードブランドとは思えない実に簡素な飾り付けを行い、背景にもビルの廊下を連想させる華やかさとは無縁な殺風景な場を選んでいた。ウィメンズウェアにいたっては、ボディの頭部には顔型イラストすらではなく、渦巻状の模様を描いた楕円形のオブジェを取り付けるというメンズウェアよりもアヴァンギャルドな空気が強いものになっていた。
人間を介在させない最新コレクション。それはまるで人と人が出会えない時代になってしまった現在のコロナ時代を投影させたようであり、逆手に取ったようでもあり、これからの時代における新しい表現の提示とファッション界が常識としてきた美意識に疑問を投げかけるクオリティにまで仕上がっていた。
トップイメージを打ち出すことだけが、果たして正解なのか。幻想的なイメージを打ち出さずに、あえてアノニマスなボディに服を着用させ、殺風景な廊下で撮影することで、ビジュアルを見た者がイメージを余分に抱くことなく服の形状に集中させ、リアルな価値を捉えやすくする。これまでファッション界では重要だと考えられていた装飾を削ぎ落とした表現に、僕は心を捉えられた。
たしかに外観の魅力を問うならば、アンダーソンが発表したビジュアルに「カッコよさ」は皆無だ。しかし、これまでの常識をこれからも常識としない新たなる価値観を打ち出す姿勢に、僕はカッコよさを感じた。外観ではなく姿勢がカッコいいかどうか。映像や写真はいくらでもハイクオリティなクリエイティブを作れる時代になった。だからこそ、デザイナーの仕掛ける表現そのものがより重要になる。ブランドのイメージではなく、デザイナーのアティテュードを着る時代へ。
それは世界の一線で活躍するファッションデザイナーたちに限った話ではなく、僕たちにも言えることではないだろうか。
ファッション界を超えて社会の文脈にも働きかける。アンダーソンの最も優れた才能はそこにある。彼はクリスチャン・ディオール(Christian Dior)やマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)たちと並ぶ、ファッション史の1ページに名を刻むデザイナーだと僕は認識している。ジョナサン・ウィリアム・アンダーソンは社会を更新していく。
〈了〉