AFFECTUS No.243
ファッションは時代の移り変わりと共に、人々が価値を感じる服は変わっていく。今では当たり前になったビッグシルエットも、エディ・スリマン(Hedi Slimane)の「ディオール オム(Dior Homme)」が全盛だった2000年代前半に発表されても、現在のように当時の消費者に響くことはなかっただろう。
それはアグリー(醜い)にしてもそうだ。もし、柄や色を多様かつ多量に用いたファッションや、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が「バレンシアガ(Balenciaga)」で発表したダッドスタイルを、ヘルムート・ラング(Helmut Lang)やジル・サンダー(Jil Sander)が時代の寵児だった1990年代のミニマリズム全盛時代に着て街を歩いたら、当時の人々から内心で嘲笑されたかもしれない。
かつて嘲笑の対象だったスタイルが、今は賛辞されるスタイルとなり、現在は見向きもされないスタイルが、数年後の未来では人々が夢中になるスタイルになっている。そんなふうにファッションとは時代の経過と共に価値が移り変わっていき、その特徴はファッションの未来を想像することに困難さを強いる。
僕はこのファッションが持つ「価値観が転換する」という特徴がとても好きだった。自分でも美しくないと思っていた服が、ある日突然美しく感じ始める。服そのものは何一つ変わっていないと言うのに。その体験をした瞬間に高鳴る心、あの感覚は何度でも味わいたくなる。
ファッションにおいて価値観が転換する体験をしたことがある人は、きっと多いだろう。多くの人たちが経験していることだが、よくよくその体験を吟味してみると、なんと不思議な体験であることか。
今、ファッションは新しい価値観の模索期に入っている。
「ヴェトモン(Vetements)」の登場は、久しぶりにファッション界に登場したビッグウェーブだった。ストリートは時代を席巻し、ラグジュラリーブランドとのコラボが熱狂を生み、ストリートから派生したデザイナーたちは、ついにはファッション界の頂点とも言えるラグジュアリーブランドのクリエイティブ・ディレクターにまで上り詰めた。まさに時代とはストリート、そう断言できる時代が2010年代後半だった。
だが、一つのファッションが永遠に続くことはない。時代はストリートから次の王座を求め始める。現代の象徴となったデムナも、バレンシアガではテーラードジャケットを軸にしたクラシックファッションを発表し始めている。
時代はストリートからエレガンスへ。それが始まったのだ。しかし、その流れが2020年にはストップせざるを得なくなる。新型コロナウイルスの出現によって。人々は自宅で過ごす時間が増加し、ロックダウン下では外出することそれ自体が、貴重で希少な価値を帯びるようになってきた。
突如、強制的に変わってしまった現代においてテーラードジャケットを主役にした、緊張感の強いエレガンスは人々のマインドには合わない。すると、2021SSシーズンでは新しいエレガンスの流れが現れ始めた。それは安心と安堵を覚える、リラックス伴うエレガンスだった。
たとえば、着用している服がジャケットやスーツであっても、そこには従来のスーツスタイルには見られなかった柔らかい素材感と流麗なフォルムが組み合わさった、美しいテーラードジャケットでありながらもルームウェアのようなムードを持つスタイルが現れ始めた。
しかし、まだそれらリラックスエレガンスが時代の主流になっているかと言うと、そこまでのパワーを持つには至っていない。ストリートが席巻した時代の盛り上がりと比較すれば、それは一目瞭然だ。新型コロナウイルス出現という、予期しないものの登場によって世界は想像もしない方向へと変わった。
そんな時代に人々が着て、生活するにふさわしい服の模索が今始まっている。どんなスタイルが人々の心を捉えるのか。それはストリートのように時代を大きなうねりで覆い尽くすのか。服を着ることは、時代を着ること。ファッションとは時代を表す。
だが、逆説的にいえば、服を着ることで時代は変えられる。そのことを無理だと思うだろうか?
世界を見れば服を着ることで歴史が変わって例はある。フランス革命で市民は特権階級への怒りをファッションで表現した。市民たちは特権階級の象徴だったキュロットと白い靴下を着用せず、下層市民たちの象徴であるパンツを穿き、そのスタイルがフランス革命を果たすエネルギーの一つになっていった。
このようにファッションとは歴史を変えるほどの力をもたらすことがある。服を着るという、誰にでも可能な行為がそんな力を持っているのだ。もしかしたら、時代を変えていく象徴のファッションを生み出すのはファッションデザイナーではなく、市井の人々かもしれない。もしかしたら僕かもしれないし、あなたかもしれない。
ファッションには世界を変える力が今だってある。未来が不透明な、こんな時代だからこそ僕はファッションを熱くなりたい。
〈了〉