ミウッチャ・プラダとラフ・シモンズの始まり

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AFFECTUS No.245

2021AWミラノメンズコレクション最大の注目を集めたと言っても差し支えないだろう。ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)とラフ・シモンズ(Raf Simons)が初めて共同で取り組んだ「プラダ(Prada)」メンズラインの発表に、世界から多くの注目が集まった。もちろん僕も、発表の日を待ち遠しくしていた一人だった。

昨秋、2021SSウィメンズコレクション発表時、僕が新生プラダから受けた印象はミウッチャとラフは互いに配慮しているというもので、互いの世界観をバランスよく融合していると言えるような感覚である。しかし、ミウッチャとラフ、どちらの世界にも傾かないバランス感の良さは言い換えると物足りなく感じた。

ウィメンズラインで受けた印象は、メンズラインではどうなるだろう。僕は自身の感情が、果たしてミウッチャとラフが共同で初めて手がけるメンズコレクションにどう反応するか、注意を払っていた。もう一人の自分が、自分の内面を見つめるように。

そして、待望していた注目のメンズコレクション発表を経て、今結論を言えば僕が正直に感じたのはやはり物足りなさだった。互いが互いの世界観を尊重する。そういう大人のクリエーターたちの姿が浮かぶ。強烈な、心が揺さぶられるほどの衝撃は覚えず、ファッションデザインの文脈を新たに更新する特別で新鮮な視点の解釈もないように思えた。

僕は二人の初メンズコレクションをそう捉える。

しかし、発表から時間を重ね、このメンズコレクションを改めて観察していると、このコレクションが持つ意味が見え出してきた。

ミウッチャとラフは、互いに相手の世界観に配慮している。ウィメンズでもメンズでも、それが二人のプラダから僕が感じたことである。だが、この配慮こそが現代の姿勢を投影したものではないかと、僕はそんな解釈を浮かべ始める。

各々が人の美意識や世界観を尊重する。人と人は違うのが当たり前であり、違いを否定・批判するのではなく、違いのある世界こそが本来の姿なんだ。生きていれば、考え方や感覚の違いでズレが生じてくるだろう。現在はインターネットで誰もが自分の考えを自由に世界へ発信できる時代。インターネットが普及する以前の時代を10代として過ごしてきた僕には、2021年の現代と1980年代から1990年代にかけての時代との違いがより顕著に感じられる。

人と人の間にある違いがより明確に感じられること、それこそが今という時代ではないだろうか。

ミウッチャ&ラフによるプラダ・メンズラインは、先立って発表されたウィメンズラインよりも二人の世界観、いや、より具体的に言えば二人のデザインテイストの違いが強く実感できた。

ミウッチャが最も得意とするデザインは、僕が言うところの「悪趣味なエレガンス」だ。どうしてそんな場所に、どうしてそんな組み合わせを。そう疑問を抱かせる素材・色・ディテールの組み合わせを挑戦的なクリエイティブを発揮するには最も遠いファッションであろう、コンサバスタイルを土台にしてデザインする。

通常のデザイナーなら異なるデザイン要素を組み合わせたら、調和を図るために色や素材など何かしらの要素で統一を図り、デザインに破綻がないように注意を払う。しかし、ミウッチャは異なる。調和を放棄する。狙いは破綻を作ること。まるでそう訴えるように、ミウッチャは自分が目に留めたもの、惹かれものを無秩序的にコンサパスタイルの上に配置していく。当然そうなれば違和感が生まれるのだが、その違和感が持つパワーこそがそのままミウッチャのデザインになる。パワーをデザインする。それこそがミウッチャのデザインに対する姿勢だと僕は考える。

今回のメンズコレクションでも、ジャケット&パンツの伝統的メンズスタイルに、パープルやイエローといった色使いの柄が編み込まれたニットをスタイリングして怪しげなムードを作り出し、あるいは全身ボディースーツのように柄ニットを素材として用いたカーディガン&パンツを作り、カーディガンの下にはシャツを合わせると言ったトラッドスタイルを組み込み、伝統を不可思議で奇妙な美意識で一体化させ、これまでの男性の服装には見られなかった美意識が誕生していた。

そんなミウッチャの悪趣味なエレガンスは、ラフが得意とするトラディショナルスタイルを繊細に仕上げたファッションの上を走っていく。今回のプラダから僕は、ラフが2000年前後にシグネチャーラインで発表していたスタイルを思い浮かべる。スレンダーなシルエットでニット・パンツ・ジャケット・シャツというメンズウェアのベーシックアイテムを、当時はまだ希少であったスマートシルエットで作り上げ、完成したスタイルは男性の繊細な感受性に焦点を当てたエレガンスが立ち上がっていた。

ラフが創造する、やや暗さを帯びた男性たちが住む世界の上を、ミウッチャの悪趣味なエレガンスが走っていく。

そうして生まれたメンズコレクションは、ミウッチャにもラフにも見られなかった、まさに二人の美意識に隙間から生まれたものだった。確かに現時点で、僕は今回のメンズコレクションには強烈な衝撃を覚えなかった。だが、これを始まりと考えるのはどうだろうかと、僕は自分に問いかける。デザインは成長していくものだ。始まりから鮮烈である場合もあれば、経験を積み重ねることで未踏の領域に到達することもある。

僕はそんな経験を、ラフが手がけていた「ジル・サンダー(Jil Sander)」で体験した。ラフのジル・サンダーも当初はブランドのDNAを尊重した実に控えめなデザインで、当時の僕は好印象ではあったが今回のプラダと同じように強烈な衝撃は覚えなかった。しかし、ラフはそこからジル・サンダー本人でさえも到達していない領域にブランドをクラスアップさせ、ラストコレクションとなった2012AWコレクションでは至高のエレガンスを創造するまでに至った。

そのような経緯をミウッチャとラフのプラダがたどることだってあるはずだ。現在の結論が未来を確定するわけではないし、そんなことは未来のニューエレガンスを見落とすリスクも孕む。だから、僕はミウッチャとラフのプラダを継続して観察していきたい。今は僕たちが想像すらもできないエレガンスの誕生を期待して。

〈了〉

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