デムナ・ヴァザリアは未来を示唆する

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AFFECTUS No.257

今は叶うことのない願いであっても、いつか必ず叶えたい。その願いは特別な体験ではない。以前なら当たり前に過ごすことのできた日常にすぎない。けれど、今欲しいのはその日常。僕らが特別に格別な体験と思わなかった日常は、今や渇望するものになってしまった。一体いつになったら、会いたい人に会いたい時に会え、仲間たちと気軽に自由に食事ができるのか。語らい、笑い、楽しいひと時を共に過ごす。街を越え、国を越え、旅をしていく。そんな日常は遠いものになってしまった。

ファッションは時代を投影する。デザイナーが制作するコレクションはそこに言葉がなくとも、メッセージ性が滲み出すことがある。デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)のデザインには以前ほどの破壊的パワーを僕は感じなくなったが、「バレンシアガ(Balenciaga)」2021Pre Fallコレクションで久しぶりに惹かれる何かを僕は感じた。このコレクションにはデムナが「ストリート×マルジェラ×アグリー」の方程式で、世界を席巻した時期ほどのパワーは確かにない。だが、現代に対する彼の洞察が垣間見えたように思う。きっとそこに僕は惹かれたのだろう。ここでは僕の捉えたデムナの「今」に対する視点を自由に語りたい。

ここ数シーズン、デムナはバレンシアガのコレクションでテーラードの配分率を高めるようになっている。これまでバレンシアガでデムナが見せていたコレクションは、ストリートを原点としたカジュアルファッションが中心を成していた。まだブランド離脱前の「ヴェトモン(Vetements)」でデムナが発表していたコレクションに比べると、バレンシアガではジャケットを用いたルックは多かったが、それでもコレクションのイメージは決してドレッシーなものではなく、あくまでカジュアルに軸足を残すイメージだった。

しかし、ストリート出身のデザイナーたちがラグジュアリーブランドのディレクターへ次々就任し始めた時期から、世界はストリートからエレガンスへとトレンドを移行していく。時代を象徴するアイテムはフーディからジャケットへ。スタイルの変遷はファッションでは珍しくない現象で、むしろ当たり前と言って差し支えない。世界を支配したストリートの波は、スタイルは時代の進行と共に変遷するという、ファッションの歴史が幾度となく見せてきた現象に抗うことはできなかった。デムナも例外ではなかったということになる。

しかし、先ごろ発表された2021Pre Fallコレクションでデムナは原点へ立ち返るように、テーラードの配分率を低く抑え、カジュアル色を強めた。デニムにフーディというストリートのキング的アイテムが幾度なくこのコレクションでは登場し、昨今数多く登場していたテーラードジャケッスタイルの存在感は影の薄いものになっていた。厳密に言えば、コレクション全体の2割弱はテーラードジャケットがスタイリングされていたのだが、その数字以上に印象は弱いものになっている。フーディ&デニムというストリートの王道アイテムを幾度なく登場させることで、王道の持つパワーがテーラードの存在感を弱める効果を発揮していたように思う。それほどに2021Pre Fallコレクションは、近年のバレンシアガではカジュアルファッションのイメージが強い構成になっていた。

このコレクション、ルックそのものに特筆するものはない。これまでデムナが幾度なく披露してきたストリートスタイルを、再度登場させているというイメージだ。僕が惹かれたのは服そのものではなく、ルック写真の背景にある。

コレクションを着用した男女のモデルたちの背後に写るのは、イタリアやパリ、ニューヨークに東京の新宿など世界中の都市の風景であり、それらがルックの背景として使用されている。だが、モデルたちが披露するスタイルは背景に写る都市がヨーロッパであろうとアジアであろうと、どの地域のどの国であろうとも一貫してストリートスタイルである。一つのスタイルで、世界を横断していく。僕はここに惹かれたことを理解した。

世界は自由な暮らしが制限される時代を生きることになってしまった。時代の変化に伴い、ストリートからエレガンスへ移行していたトレンドに新たな変化が表れ始める。カジュアルへの回帰である。室内で過ごす時間が増えた暮らしによって、ルームウェアのようなリラックス感が取り入れられたコレクションを発表するブランドが現れるようになった。スーツがブランドの象徴である「エルメネジルド・ゼニア(Ermenegildo Zegna)」も、2021AWコレクションではまるでスウェットのような軽量感と安心感を備えたスーツを発表するほどだった。

デムナも時代の変化を逃さない。バレンシアガ2021Pre Fallコレクションを見ていると、僕はデムナの時代感を捉える鋭い感性に唸る。カジュアルに回帰したバレンシアガは、彼が時代の機微に敏感であることを証明する。

世界をまるで自宅の部屋のように、自分が暮らす街のように横断する。デジタル体験が当たり前となった現代だからこそ価値を帯び始めたメッセージ性。かつての日常を取り戻したいわけではない。新型コロナウィルスによって劇的に変化した時代に適合する、新時代の新しい日常をデムナ・ヴァザリアは示唆する。ファッションを未来を見据えるものだ。僕らは未来を生きていく。

〈了〉

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