AFFECTUS No.259
刺激というのは強いがゆえに面白く、何度も味わいたくなる。だが、何度も味わう内に刺激の強さだけに心地よさを感じることは難しくなり、穏やかな心地になれる体験を欲する瞬間が訪れる。世界の創造性が競われるファッションウィークを観察していると、強烈な衝動を沸き起こすコレクションだけでは満たされない心の在処が、自分の中にあることを知る。ファッションとは刺激だけがすべてではないのだ。
デザイナーたちの創造性が激しくぶつかり合うファッションウィークにおいて、清涼剤のように涼しげで穏やかな感情をもたらす服を僕らに届けてくれるブランドがある。それが「マーガレット・ハウエル(Margaret Howell)」だ。ハウエルは非日常の服から距離を置き、僕らの日常に自然と溶け込む優しく心地いい服を提案する。僕が今最もワードローブとして取り入れたいブランドがハウエルだった。
ハウエルの服はアヴァンギャルドとは無縁の世界を生きる。日々の暮らしの中でいかに快適で、袖を通すことに微笑みたくなるデザインがされているか。強い刺激など皆無で、リアルな生活と一体化したナチュラルウェアがハウエルなのだ。見ているだけで心が穏やかに気持ちよくなる服というのは、そうそうあるものではない。しかし、刺激とは無縁だったはずのハウエルに刺激が感じられる現象に遭遇する。2021AWコレクションが新たなるハウエルの体験を僕にもたらした。
どんな刺激を僕は感じたのか?それはセクシーだった。ハウエルとは程遠いと思っていた形容詞の一つが浮かんできたのだ。写真のみで発表されたわずか28ルックの小規模なコレクションだが、ルック数の少なさに反して僕が受けたインパクトは小さくはない。ハウエルにまさかセクシーを感じるとは。そんな驚きを覚える。
1枚目のルックから変化を感じ取る。ベレー帽を斜めに被り、トップスに素材感気持ちよさそうなニットを着用し、ウェストがゴムのカジュアルパンツを穿く女性モデルの姿をモノクロ写真で捉えたルックは明らかに色っぽく、その後に続くルックにも色気は確かに、けれど強い主張は控えて静かに匂っている。「セクシーなマーガレット・ハウエル」という、これまで僕がハウエルに対して一度も浮かんで来なかったイメージがすぐさま頭を過ぎる。肌の露出が刺激的にあるわけではない。むしろ肌のほとんどが服に覆われていると言ってよく、スタイルそのものは知的佇まいと呼べるクリーンさを備えている。それにもかかわらずセクシーなのだ。
僕はそこで考える。なぜこのコレクションにセクシーを感じるのかと。ルックを眺めていると、その秘密はモデルたちのポーズと表情にあるのではと思えた。虚げな表情を覗かせ、見る者にボディラインの立体的イメージを立ち上げさせるポーズ。服そのものだけを見ればいつものハウエルなのだが、最新コレクションを着用するモデルたちの姿に色気が宿っていた。
これまでハウエルはファッションショーで最新コレクションを発表するのが常だった。しかし、新型コロナウィルスの影響によってリアルショーの開催が困難になったからだろう、ハウエルは2021SSシーズンからルック写真のみで発表するようになる。先シーズンの2021SSコレクションも今回同様ルック写真のみの発表だったが、僕は色気を覚えることはなく、これまでショーで発表してきたハウエルのコレクションの延長線上にあるナチュラルな美しさを備える服という印象を受けるだけだった。
だが、2021AWコレクションはモデルのポーズに色気が備わっている。加えてモノクロ写真の陰影とモデルたちの虚げな表情がさらなるアクセントになり、ハウエルのセクシーを演出する。ここにきて気づくのは、ハウエルの特徴である着用者の身体を優しく自然に包み込むシルエットが人間の身体に備わる色気を発現させているということだ。いつもと変わらないはずのハウエルのシルエットは、今まで僕が捉えることのできなかった魅力を隠し持っていた。ハウエルは以前からも着用者をセクシーに見せる武器を持っていたのだ。そのことに僕は気づかずにいた。
新型コロナウィルスの脅威はファッション界に大打撃をもたらしている。特にビジネス面においては顕著だ。しかし、クリエイティブ面に限って言えば必ずしもマイナスばかりではない。これまでとは異なる方向性のデザインが姿を現し始めているのだ。ランウェイでの発表が行えなくなった副産物として、ハウエルはこれまでにない新しい魅力の獲得に成功した。そして僕は、ハウエルの新しい魅力であるセクシーに惹かれている。
刺激とは無縁のセクシーを見せたハウエルは、色気という概念に新しい解釈を刻んだとさえ思えてくる。挑発的に挑戦的なカッティングで、肌を露出して艶かしく見せる。セクシーなファッションをデザインする方法はそれだけではない。肌の露出を抑制し、身体を服が覆うようにしてもセクシーは演出できる。物事の一面から見えたことだけが絶対の真実ではない。角度をずらした場所から見えたものにだって、もう一つの真実がある。可能性はいつもどこかにある。マーガレット・ハウエルはファッションの可能性と、未来の切り拓き方を示唆する。
〈了〉