昭和の美しさが現代に更新されたザ・ヒノキ

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AFFECTUS No.269

今年の春先、僕は東京都内のセレクトショップを幾つも周り、現在どのような日本ブランドが各ショップで取り扱われているのかを調べていた。実際に服を手に取り、試着も重ね、その中で服の心地よさと着た際の意外性に惹かれる日本ブランドと遭遇する。ブランドの名は「ザ・ヒノキ(The Hinoki)」と言う。

2015年、檜宗憲と檜絵里の二人によって設立され、鳥取県を活動拠点に運営されているブランドで、僕はザ・ヒノキのことをまったく知らずに予備知識が皆無のまま二人の服と出会う。

恵比寿のセレクトショップ「レクトホール (RECTOHALL)」を訪れると、ラックにかかっていたコートとシャツに目がとまる。それはとても静かな服だった。強烈なインパクトを放つという形容とは無縁な、無装飾と言っていいほどに簡潔な外観にデザインされ、ナチュラルな素材感の布地で作られた服は佇まいに静かな美しさが滲んでいた。

僕はコートの試着を試みる。すると不思議な体験に襲われる。

ラックに掛かっている時に見たコートのシルエットはワイドなラインを描いていて、その瞬間、僕の中ではワイドシルエットのコートを着た自分の姿をイメージする作業が始まり、ラックに掛かる服の分量感から着用時のおおよそのボリュームを予測していた。

しかし、実際にザ・ヒノキのコートを着用してみると、僕が着用前に抱いた予測とは逆の体験に襲われる。ワイドシルエットに見えたはずのコートは、着用した際にはワイドなイメージとは逆のスリムでストレートなシルエットが身体の上に形作られ、しかしスリム&ストレートシルエットだからといって身体を圧迫するストレスがまったく感じられず、身体を優しさが包む込む快適さと着心地が感じられてきた。その体験はコートだけでなくシャツでも同様だった。

見た時のイメージと、着た時の見え方と着心地のギャップが強く印象に残り、それら印象のギャップに僕はモード感を覚える。オーガニックコットン、リネンなどの素材を用いて無装飾に仕立てられたザ・ヒノキの服は、言ってしまえば服の外観は無印良品なのに、服を着用した体験はモードだった。

ルック写真も服のイメージそのままに、儚さと虚さが滲む。服を見せようと言うよりも、デザイナーたちが美しいと思う世界の風景を見せられているかのようだ。昭和を連想させる日本家屋や自然を背景に、ザ・ヒノキを纏うモデルたちに笑顔はいっさいなく無表情で、そこに冷たさや無機質感があるかといえばそんなことはないが、感情の抑揚が感じられない人間が持つ静かな美しさが感じられた。

これはルック写真を見ていて思ったことである。多分に僕の主観であり、勝手な想像であることは断りたい。ザ・ヒノキをルックを見ていると、ブランドの美しさの原点は昭和にあるように思えてしまった。昭和の自然や建築、人間たちが持っていた美しさを現代の人々が着るにふさわしい感性の服へと調整し、仕立てた服と世界観を持つブランド。それがザ・ヒノキというブランドに感じられ、その世界観からは前川國男や吉村順三といった昭和の名建築家が設計した住宅に似た匂いを感じる。

色とか素材とかではなく「匂い」が似ているのだ。強く主張することを控える美意識がザ・ヒノキから迫ってくる。いや、迫ってくるという表現は正しくない。穏やかに優しく、そっと距離を詰めてくる。そんな感覚だ。

ファッションには新しさが必要だ。しかし、その新しさの発想源は未来的でなくともかわまない。たとえ誰もが知っている過去の出来事や、時代が着想源であったとしても、それらの解釈にデザイナーが創造性を持ち込むことができたなら、古く思える美意識であっても魅了される美しさを生み出すことを可能にし、結果それは新しいという価値観を作り出す。

派手さとは距離を置く服を作るザ・ヒノキ。自分の個性を表現したい人には、似合わない服である。普段の自分を、ありのままの自分を大切に気持ちよく日々を暮らしたい。そんなふうに思う人にこそ似合う服だろう。懐かしくも凛とした空気に包まれて服を着る。そこにはシルエットという服の原点で、人間の想像を裏切るモードな体験をもたらすデザイン力が秘められている。

夏の暑さが本格的に訪れた今、僕はザ・ヒノキの涼しげな空気を着たくなった。

〈了〉

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