トレンドを創造的に解釈するエディ・スリマン

スポンサーリンク

AFFECTUS No.271

「トレンド」という言葉を耳にした時、どのようなイメージを持たれるだろうか?

一般的には「今人気のアイテム」「売れ筋商品」「流行のスタイル」といったイメージを、思い浮かべることが多いと思う。ファッションを楽しむ時、トレンドは重要な要素になる。今注目のスタイルやアイテムが何か、それを追いかけて自分なりの取り入れて楽しんでスタイルとする。その体験がファッションの面白さでもある。

一方で、デザインの側面からトレンドという言葉を用いた時、ネガティブな印象をもたれることがある。例えば「トレンドを意識してデザインする」と述べたなら、そのアプローチには独自性・個性といったものがないデザインとして否定的に捉えられることが時折あり、実際にそういう反応を受けたことが幾度かある。

僕がトレンドという言葉を用いる時、それは「文脈的なデザイン」「デザインの歴史的流れ」「現代ファッションデザインの流れ」といった意味であることが多い。そういう使い方をするなら「コンテクスト」と表現した方が、僕が伝えたいところの本当の意味に近くて良いのだろうけど、僕はトレンドという言葉の響きとイメージが好きだった。

新時代の新しさを次から次へと求めていくファッション。その姿勢は節操がなく、軽薄に思われるかもしれない。しかし、僕はファッションの新しさを求めていくスピード感と、生み出されるクリエーションの数々が好きだ。それが僕にとってファッションが持つ魅力の一つでもある。

2016年から「AFFECTUS(アフェクトゥス)」の活動を始め、市場から人気と注目を集めるファッションデザイナーには「トレンドを読み取り、独自に解釈する能力」があるように感じられてきた。デザイナーがその能力を意識して行っているのか、はたまた無意識下で行っているかは定かではない。しかし、話題を呼ぶコレクションを見ていると、トレンドを解釈したデザインになっているのだ。「自分の好きな服を作る」。この姿勢はファッションデザイナーにとって重要だろう。自身の世界を探究してたどり着いた服こそが、他のデザイナーにはないオリジナリティを生み出す。

しかし、ただ「自分の好きな服を作ること」だけに集中していると、変わりゆく時代の価値観からズレてしまうリスクが高まり、時代から取り残されたファッションを生んでしまう。息をするように時代の空気と自然にフィットする現象は、永遠に続くわけではない。ファッションデザインに限らず、年齢や経験を重ねることで時代からズレしてしまうことは往々にしてある。だからこそ、意識的に世の中の流れ、ファッションで言えばトレンドを把握することはファッションデザイナーにとって重要のスキルだと僕は感じるようになった。

トレンドを把握し、自分独自の解釈を創造的に持ち込んで、トレンド上に再提示する。ファッションデザインとはトレンドをルールに、創造的解釈を競い合うゲームだと言える。

前置きがかなり長くなったが、僕は先ごろ発表されたエディ・スリマン(Hedi Slimane)による「セリーヌ(Celine)」2022SSメンズコレクションを見て、改めてトレンドの重要性を実感する。

昨年、新型コロナウィルスの脅威が明らかになると、世界の変化と呼応するようにエディ・スリマンはスタイルを一変させた。彼はフィービー・ファイロ(Phoebe Philo)の後任としてセリーヌのディレクターに就任すると、デビューシーズンとなった2019SSコレクションから1970年代と80年代が混じり合うシックなスタイルを発表してきたが、昨年6月に発表した2021SSメンズコレクションから大転換する。

それまでフレンシックと呼びたくなるスタイルから、ルーズシルエットを軸に雑多的スーパーカジュアルスタイルへと一変したのだ。一見すると、エディが2013SSから2016AWシーズンの間に「サンローラン(Sain Laurent)」で発表していたスタイルと極めて似ているのだが、僕はサンローラン時代には感じなかった圧力を感じていた。それは最新セリーヌ2022SSメンズコレクションでも同様で、やはりサンローラン時代のスタイルと似ているようで、サンローラン時代にはない圧力がある。

第二の黄金期が来た。そう言いたくなるほど、現在のエディからは圧倒的パワーが迫ってくる。

「なぜ、このような違いを感じるのだろうか?」

そう疑問に思った僕は、エディがサンローランで発表した全コレクションと、2019SSシーズンから現在に至るセリーヌの全コレクションをチェックしてみた。すると、一つのキーワードが浮かんでくる。それが冒頭で述べたトレンドだった。

サンローラン時代のエディは、極端に言ってしまえば時代(トレンド)に対して「我関せず」の姿勢で、自身が愛するスタイルの表現に集中してきた印象である。もちろん、厳密に言えばシルエットがわずかに緩くなっていたり、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)の提案によって生まれた新美意識のアグリー(醜い)を、エディ流に解釈したと思える贅沢さをチープに雑多的に混ぜた素材やディテールは見られるので、完璧にトレンドを無視していたわけではない。しかし、2014年あたりから発生したノームコア、「ヴェトモン(Vetements)」の登場によって世界を席巻したアグリーストリートの取り入れはかなり限定的に感じられた。シルエットがスーパービッグになろうと、当時のエディは一貫してスキニーシルエットを発表する。

しかし、セリーヌ2021SSコレクションから始まったエディの大転換は、トレンドの解釈が強く感じられたのだ。彼の代名詞であるスキニーシルエットは大幅に減少し、代わりに現代主流のルーズシルエットがコレクションの大半を占め、ギラつき感じさせる素材やディテールを雑多的に組み合わせ、それらをルーズシルエットで構成したたカジュアルスタイルは、トレンドとエディワールドが一体化したデザインとなっている。

僕は思う。やはりトレンドを取り入れることで、ファッションデザインは圧力を獲得すると。トレンドはデザイナーから独自性を奪うものではない。むしろその逆だ。デザイナーの独自性を創造的に加速させる。それがトレンドだ。

個人的な感想を述べると、僕はサンローラン時代のエディに対して「ディオール オム(Dior Homme)」ほどの興味は持てないでいた。毎シーズン、コレクションはチェックしていたが、特別心踊る体験は得られなかった。しかし、セリーヌでは2021SSコレクションから僕の中でエディの創造性に対する関心が急激に高まっていく。毎シーズン、彼のコレクションを見ることが次第に楽しみになってきたのだ。

もう一度述べよう。ファッションはトレンドの解釈を競うゲーム。時代と密接に関係するファッションは、トレンドを無視することはできない。僕はこのゲームを心ゆくまで楽しみたい。このゲームの行先には、いったい何が待っているのだろうか。

〈了〉

スポンサーリンク