ヴァージル・アブローとパイレックス ビジョン -2-

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AFFECTUS No.294

ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)の原点と言える「パイレックス ビジョン(Pyrex Vision) 」は、チェックシャツ、フーディ、Tシャツという、誰もが知っているベーシックアイテムで構成されている。服のパターンに特段変わった形は見られず、スタリングとしてはNBAが好きなストリートキッズといった印象を受ける。スタイルにはその後のストリート全盛時代を先んじた先見性が見られるが、服の造形そのものに強烈なインパクトはない。では、ヴァージルはどのようにこれら普遍的アイテムに特色を出したのだろうか。

それはプリントだった。

ヴァージルは、アイテムに「PYREX」のロゴ、NBAの伝説マイケル・ジョーダン( Michael Jordan)の背番号「23」、バロック期のイタリア人画家カラヴァッジオ(Caravaggio)の作品「キリストの埋葬」を、先述のフーディやチェックシャツにプリントしてアイテムに特色を打ち出し、それらアイテムをバスケテイストなストリートスタイルに完成させた。

先ほど、当時のパイレックス ビジョンのアイテムには、特段変わった造形は見られなかったと述べた。それもそのはず。ヴァージルは、「チャンピオン(Champion)」のフーディ、「ラルフ ローレン(Ralph Lauren)」のカジュアルライン「ラグビー(Rugby)」(2013年に終了)のチェックシャツなど、既存のアイテムを使っていたのだから。チャンピオンのフーディは 約40 ドル(約4,520 円)だったが、そのフーディにカラヴァッジオの作品をプリントしたパイレックス ビジョンのフーディは225 ドル(約25,425 円)で販売され、同様にラグビーのチェックシャツは約80ドル(約9,040円)から、「PYREX」のロゴと「23」を背中にプリントすることで550ドル(約62,150円)で販売された。*日本円は現在のレートで計算

元来の価格から数倍の価格で販売することに批判もあったが、ヴァージルのアプローチはファッションデザインの歴史という文脈で見ると、非常に特徴的な試みが見られて面白く、先端的な試みが価格に乗ったファッションデザインの文脈的価値を思えば、この価格に妥当性も感じる。

既存のアイテムを使うというアプローチは、ヴァージルが初めて試みたわけではない。先駆者はマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)だろう。マルタンは、市場から見つけた古着を解体して新たなピースを作ったり、既存のアイテムに新たな要素を大胆に取り入れて、その服を新しい服として世界に発表した。マルタンは、自らが過去に発表したコレクションもグレーに染め直すだけで、ニューコレクションとして発表したこともある。

このように、ヴァージルが見せた既存のアイテムを使うというアプローチは真に新しいというわけではない。だが、マルタンとヴァージルのアプローチには違いがある。マルタンは服そのものを、素材・パターンなど服の構成要素を使って再構築する手法が軸で、そのアプローチは「服の実験家」と呼べるものだったが、ヴァージルはファッションとは異なる他のカルチャーを引っ張ってきて、それをただプリントするという単純な手法で、既存の服に極力変化を加えなかった。

アート作品を用いるという手法も、例えばイヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent )が1965年にモンドリアンルックで、時代をさらに遡れば1930年代にエルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)が、シュールレアリズムを代表するサルバドール・ダリ(Salvador Dalí )と、現代でいうコラボレーションとも言うべきアイテムを発表している。

このように芸術作品をファッションデザインの素材として用いることは、既に実践されてきたのだが、サンローランとスキャパレリはあくまで新たに製作したオリジナルのドレスに芸術作品を用いて、ヴァージルのように市場で流通している既存アイテムを用いたわけではなかった。

ヴァージルのアプローチは、ファッションの歴史を見れば既に行われていることなのだが、過去のデザインよりも手が込んでいなくて、とてもあっさりしている。プリントという手法自体は、今の時代ならば誰もが行えるだろう。ヴァージルのアプローチを見ていると、ある人物の名が浮かんでくる。20世紀のアートに多大なる影響を与えたマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)だ。

デュシャンは、ヴァージルがメンターと公言する存在だ。パイレックス ビジョンはバスケテイストのストリートスタイルやマイケル・ジョーダンの背番号など、ヴァージルが好んできたカルチャーや人物が表れているように思えるが、彼の根底にはやはりアートがあるように思う。だが、ヴァージルの場合、カラヴァッジョの作品をプリントしているが、厳密に言うと単にアート作品をそのまま使用するだけのケースとは異なる。

デムナ・ヴァザリアはストリートやマルタン・マルジェラなど自身が体験したカルチャーを、ストレートにコレクションへ投影させているが、パイレックス ビジョンで見せたヴァージルのデザインは、例えるならカルチャーそのものの投影ではなく、カルチャーを作り上げるアプローチを題材にしている印象なのだ。

パイレックス ビジョンで見られたのは、ヴァージルがメンターと仰ぐデュシャンを思わせるアプローチだった。次回では、パイレックス ビジョンのアプローチへさらに言及し、このデザインがどのような価値を持っているのかを、僕なりの言葉で語っていきたい。少し、マニアックな話になり、もしかしたら少々重々しく感じる内容になるかもしれないが、こういうファッションの解釈があるのかと思ってもらえると嬉しい。

当初はこのシリーズは2回で終える予定だったが、実際に書き始めると2回で終わらせるボリュームに収めるのは無理だということに気づいた。それほど、ヴァージルがパイレックス ビジョンで見せたデザインアプローチは価値があったと僕は感じている。もうしばらく、このパイレックス ビジョン論にお付き合いいただきたい。次回でなんとかシリーズ最終回としたい。

〈続〉

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