AFFECTUS No.296
少々大袈裟で抽象的な話になるが、世界には様々な常識がある。その常識は守るべきもの、その常識を守ることで快適な生活が送ることができる。そういった類の常識が、世界には無数にある。しかし、時代が変われば価値観は変わり、常識も変わっていく。時代が変わり、明らかに新時代の価値観に合わなくなったというのに、前時代の常識を頑なに守るのはなぜだろうか、と疑問を抱くことがある。
ファッションは服を通して、世界の常識を書き換え、新時代の生活にふさわしいスタイルを発表し、人々の暮らしを変えてきた。行動が変わるから着る服も変わるのではなく、服を変えることで行動が変わる。ファッションの歴史を見ていると、そう思うことが自然なことに思えてくる。例えば、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent )が1970年代に発表したスモーキングルックは、ココ・シャネル(Coco Chanel)のパンツルックと並ぶ女性の生き方に大きな影響を及ぼし、歴史を変えたスタイルである。
ここからはかなり世界観を狭めた話になっていく。自分の身体に合うサイズの服を着ること。これは現代ファッションの常識である。サイズの合う服を着ることが、自分を最も輝かせる。きっとそれは事実だ。
しかし、時折、自分の身体よりもオーバーサイズの服を着ることで、思った以上の魅力に出会ったりもする。それはストリートウェアでは特別珍しい現象ではないし、マスファッションにおいても同様に珍しくないが、あえてオーバーサイズの服を着るという選択肢に至るのはなかなか容易ではない。それほど、サイズの合う服を着るという常識に縛られているのかもしれない。
ルーク・メイヤー(Luke Meier)が「OAMC」で発表するメンズコレクションを見ていると、僕はオーバーサイズの魅力に惹かれるようになる。
OAMCはシーズンによって男性像の年齢がズレる。例えば、2021SSコレクションは少年の面影が残る男性像だが、翌シーズンの2021AWコレクションは青年と呼ぶ方がふさわしい男性像に仕上がっている。だが、男性像の年齢がいくつであろうと、近年OAMCが披露するシルエットは安定してオーバーサイズだ。
シルエットは生地と肌の間に適度な量感を含み、流麗感を伴い流れていく。だが、上等なエレガンスと言えるほど気品に満ちているわけではなく、単にサイズが自分の身体には合っていないが、この服のデザインを気に入ったから着ているという、スタイルを優先した結果のシルエット。そんなふうに思わせるのが、ルークが作り上げるシルエットだった。
生地と肌の間に生まれたボリュームは、身体と心に少しの自由をもたらす。トレンドを席巻したビッグシルエットほどに巨大ではないし、スキニーシルエットのように身体を締め付けるほどの細さはない。そのどっちつかずのボリュームが、OAMCのシルエットにやや粗雑な印象を与え、完璧や上品という価値観とは距離が離れていく。
完璧さをやんわりと否定するシルエットの魅力を高めるのが、グラフィックだ。OAMCのコレクションには、グラフィックが幾度も登場する。服をキャンバスに見立てて、と述べるのはいささか洗練され過ぎた表現で、OAMCにはふさわしくない。パソコンのモニター上でどう見えることがクールなのか。OAMCのグラフィックはそう呼ぶ方が似合うし、あるいはCDジャケットを服に転写したかのようなグラフィックとも言え、シャツやニットというカジュアルアイテムに乗せられていることで、いっそう上等上質なエレガンスから遠のく。
オートクチュールのドレスで絵画的に表現されたグラフィックならば、ファッション伝統の美しさが完成するだろう。しかし、OAMCは対極の世界を進む。スケーターがストリートを蛇行しながら駆け抜けるように、ルークはカジュアルウェアを美しい中途半端なボリュームという、違和感覚える形容が最も適した様に感じられるシルエットで作り上げ、ファッションの常識を緩やかに崩す。自分の身体とは合わないサイズを着る面白さを知らないなんて、もったいない。
常識からズレたところに、新しい面白さが待っている。
しかしながら、僕に訪れたひどく現実的な理由がオーバーサイズに惹き寄せたことも見逃せない。30歳を過ぎたあたりから、僕は気づく。太ることの容易さと痩せることの困難さに。なるほど、これが年齢を重ねた人間に訪れる神様からのプレゼントなのか。何ヶ月も続けてきた食事制限の結果、ようやく落ちた体重は、自分の欲に忠実な食事をたった数日しただけで戻っていく。まったくもって信じられない。掛けた時間の長さは、成果に比例しないのだ。常識を疑え。
〈了〉