イエールから新たなるコンテクストゲームが出現

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AFFECTUS No.297

今回は、10月にファイナルが開催された第36回イエール国際フェスティバル(以下、イエール)をピックアップしたい。イエールの概要については、モードファンならご存知の方は多いだろう。南フランスで開催されるファッション、アクセサリー、写真などの新しい才能を発掘するコンペで、とりわけファッション分野ではこれまでも幾多の新しい才能を見出しては世に送り出してきた。

「サンローラン(Saint Laurent)」の現クリエイティブ・ディレクター、アンソニー・ヴァカレロ(Anthony Vaccarello)は2006年にイエールでグランプリを獲得し、「ラコステ(Lacoste)」の前クリエイティブ・ディレクター、フェリペ・オリヴェイラ・バティスタ(Felipe Oliveira Baptista)は2002年イエールのグランプリ獲得者であり、イエールの審美眼には定評がある。

LVMH Prizeが設立以降、イエールの存在感と注目度は弱くなってしまったが、近年でも「ニナ・リッチ(Nina Ricci)」の現クリエイティブ・ディレクター、ルシェミー・ボッター(Rushemy Botter)とリジー・ヘレブラー(Lisi Herrebrugh)のデザイナーデュオを見出し、イエールの審美眼は健在である(二人は2018年にグランプリを獲得)。

僕は毎年イエールのファイナルに選出したデザイナーには注目していて、それが楽しみの一つになっている。今回はグランプリを獲得したイフアニ・オクワディ(Ifeanyi Okwuadi)を中心に、僕が個人的に気になったデザイナーを紹介していきたい。と思っていたのだが、オクワディのグランプリを獲得したコレクションを見ていると、メンズウェアの文脈的に面白い傾向が見えてきた。そのため、本日はオクワディについてのみ語っていきたい。

イエールに選出されるデザイナーたちの作風は、LVMH Prizeに比べると荒々しいことが多く、コスチューム的デザインが多い。それはLVMH Prizeが基本的にはプロのデザイナーが応募対象になっているのに対し、イエールではプロだけでなく学生も含まれているからだろう。ただ、参加者のタイプを抜きにしても、イエールは現実的なデザインよりも大胆なデザインを求める傾向がある。

そんなイエールにあって、今年グランプリを獲得したオクワイディが発表したメンズコレクションは、このままショップのラックに飾ることができるリアリティと完成度を見せていた。ただ、イメージに僕は大胆さを感じた。色の中心は黒で、アイテムはベーシックアイテムばかりで、パターンや素材使いにイエールらしい大胆さは見られない。しかし、男性モデル全員がショートパンツ、より具体的に述べると少年が穿く「半ズボン」と言えるボトムを着用し、ハイソックスを合わせている。

スタイル全体はシックだが、半ズボンとハイソックスが幼さを感じさせ、上流階級の男の子たちが通う学校の制服的イメージを呼び起こされる。そんなイメージのメンズウェアを、成人した男性が着ているコレクションといえば、イメージの不思議さを感じてもらえるだろうか。

近年、僕がメンズウェアで気になっている傾向がこれだった。現在、男性の服装はかなりフェミニンな要素が増えてきた。昨今のジェンダーレス進行も重なり、女性的ニュアンスのスタイルがメンズウェアに取り入れられるのは珍しいことではない。ただ、最近僕が気になる傾向は、繊細さの表現が女性的なものから少年的なものへのシフトしている。少年と言っても、かつてラフ・シモンズ(Raf Simons)が披露していた10代後半の少年ではなく、小学生ぐらいの年齢層の少年、子供と言っていい年齢層の少年たちが着用する服を、成人男性に着せるスタイルが散見される。

トレンドというほどの大きな現象ではないが、ここ数シーズン目にする機会が増え、その子供服的大人服のメンズウェアが見られるブランドは若手ブランドに多い印象だった。「エス・エス・デイリー(S.S. Daley)」は、今は大人と呼ばれる年齢に成長した男性だが、子供の頃に着ていた服が好きで、それを今でも着たいと思っている大人の男性のための、子供服のエッセンスを汲んだメンズウェアを発表している。そこに少し中世ヨーロッパ的な空気も紛れ込んでいて、かなり独特なメンズウェアだ。ビッグブランドでは、「グッチ(Gucci)」のアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)にも感じられる傾向である。

この動きはメンズウェアの文脈的になかなか面白い。メンズウェアのフェミニンが、ラフによる10代後半の少年イメージで繊細さを表現→エディ・スリマン(Hedi Slimane)が繊細のタイプを女性的繊細にまで拡張し、男性の服の枠の中で表現→ジョナサン・ウィリアム・アンダーソン(Jonathan William Anderson)が女性的繊細さを女性の服・ディテールをダイレクトにメンズウェアに転用して表現→子供たちの服・ディテールを成人男性の服に転用して表現、という流れが起きている。

ここで述べている現象は、以前のノームコアやストリートほど巨大な現象ではない。しかし、メンズウェアの歴史という縦軸で見てみると、僕は面白さを感じる。

2021年イエールのファイナリストを見ると、10組中6組がメンズウェアを発表している。僕はイエールを15年ほどチェックし続けているが、ここまでメンズウェアの発表数が多いイエールは記憶にない。ファイナリストのほとんどがウィメンズウェアで、たまにメンズウェアを発表するファイナリストがいるというのが、これまでのイエールだった。ファッション自体、基本的にウィメンズウェアを中心にデザインの歴史は回っているので、それは自然なことなのだが。

子供が着る服を成人男性の服へ転用するメンズウェア(長い。いい表現がないだろうか……)が、メンズウェアの歴史を新たに書き換える現象となるかは定かではないが、年明けの2022AWシーズンでも現れるか否か、注目していきたい。

〈了〉

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