AFFECTUS No.318
音楽は、ショーの魅力を引き立てる。時折、無音のショーも開催されるが、やはり僕は音楽を使ったショーの方が感情の高鳴りを感じられて好きだ。ショーと音楽の関係性で僕が最も心が震えたコレクションと言えば、ラフ・シモンズ(Raf Simons)が「ジル・サンダー(Jil Sander)」で最後に発表した2012AWコレクションがあげられる。
ショーの終盤に流れたスマッシング・パンプキンス(The Smashing Pumpkins)の『Tonight, Tonight』は、ラフ・シモンズの真の才能はウィメンズにあったと確信させるほど、極上のエレガンスを披露したラフ生涯最高のコレクションに最上の彩りを添え、そのあまりの美しさにフィナーレでは感傷を呼び起こされ、僕はモニターの前で自然と涙を滲ませていた。ショーを観て涙がこぼれる体験は、後にも先にもあのコレクションだけだった。
音楽はショーにパワーを宿らせる。2022AWパリファッションウィークで、僕は音楽の新たな力を実感するコレクションと出会う。デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)は「バレンシアガ(Balenciaga)」で、音楽とショーの新しい可能性を示してくれた。
デムナはこのショーで、現在ウクライナで起こっている戦争に触れる。ショー冒頭、ウクライナの詩人オレクサンダー・オレス(Oleksandr Oles)によるウクライナを信じることへの励ましの言葉を、デムナ自身が朗読する声が流れる。言葉の意味はわからなくとも、デムナの声のトーンと言葉と言葉を繋ぐ間に、彼の心情が感じられる思いになっていく。
ジョージア出身のデムナは、10歳の時に内戦によってドイツのデュッセルドルフへ家族と共に移住した経験を持つ。母国で戦争を体験した彼だからこそ、ウクライナへの現状を思う気持ちから一時はショーのキャンセルを考えるほどだった。
しかし、デムナはショーを開催する。僕はショーでの音楽の使われた方に、デムナのメッセージが表れているように思えた。いったい、どのような曲が流れ、どのようなショーだったのか、僕の解釈と共に紹介していきたい。
ショーは、全身ブラック一色のスタイルで始まる。黒いサングラスを掛けたモデルは、右手に黒いバッグを持ち、服だけでなく小物に渡るアイテムの色がブラックで統一されていた。ショー会場は、円形の広大な空間一面に雪が敷き詰められ、上からは雪が大量に降り注ぎ、強風も吹き荒れ、過酷な雪景色を黒い服を着た人間が歩く姿が映し出されていた。
デザイン自体は、近年のデムナの姿勢を踏襲したものだ。色はブラックを軸に、肩幅を誇張したジャケットにパンツを合わせ、クラシックをデムナワールドで表現したスタイルが披露された。ドレスの登場も多く、クラシックを主役にするのが近年のデムナの傾向である。フーディやデニムなどストリート色のアイテムも登場するが、「ヴェトモン(Vetements)」時代と比べればかなり少ない。率直な感想を言えば、僕は近年のデムナのデザインには以前ほどの鮮烈さを覚えることはなく、それは今コレクションも同様だった。
それでも、2022AWコレクションが印象深く感じられたのは音楽の使い方だった。ショーが始まって聴こえてきたのは、悲しいピアノの旋律だった。この曲はフランスのピアニスト、ダヴィッド・カドゥシュ(David Kadouch)の『Slavonic Dances in E Minor』であり、スローなテンポで響く音は鎮痛な空気がゆっくりと浸み込み、吹雪のショーをいっそう悲しく見せ、デムナの過去の体験、現在のウクライナに対する想いが綴られているような気持ちになっていった。
僕はこの演出を観ているうちに、今回のショーはカドゥシュの曲を最後まで流し、悲しさに満ちたコレクションになるのだろうと思い始めていた。しかし、そんな僕の予想をデムナは裏切る。
ショーが中盤に達すると、突然に曲調が一変する。ピアノの旋律からインダストリアルなリズムへ。2017年からバレンシアガのショー音楽を作曲するBFRNDのサウンドが鳴り響く。音楽に詳しくないため、BFRNDの曲調をどう表現したらいいだろうかと悩むが、テクノ的な電子的な曲調と表現すれば、おおよそのイメージはつくだろうか。悲しみにあふれたカドゥシュのピアノとは正反対だと言える。
音楽がBFRNDに変わり、ショーのイメージも一変する。発表されるルックのデザインはブラック一色のテーラードを軸にしたスタイルで変わりはなく、ショーの演出にも大きな変更はない。雪が積もった円形の空間をモデルたちが吹雪の中を歩くという、ショーの冒頭から続く風景が継続されていた。ショーの終盤、照明が点滅を始め、まるで雷が鳴り響く様子を思わせる演出の変化はあるが、ショーそのものの印象を大きく書き換えるほど影響力の大きい変化ではない。
僕はBFRNDのテクノ的サウンドを聴こえると、クラシカルなはずのバレンシアガに、ビッグシルエットのフーディやスウェットを着たストリートスタイルのイメージが感じられてきた。ショーの演出はほぼ変わることなく、スタイル自体も変わっていないのに、コレクションのイメージがクラシックからストリートへ変わる。極端の音楽の変化が、不思議な現象を引き起こす。
そこで感じたのが、僕なりのデムナのメッセージだった。ストリートはデムナにとってのアイデンティティであり、彼にとってはあるのが当たり前のファッション、デムナにとっての日常と言える。深い悲しみが痛いピアノから、ストリートを連想させるBFRNDの音楽への転換が「戦争という暴力に屈することなく、日常を失わない失わせない」というメッセージを僕に思い浮かばせた。
スタイルやショー演出を大幅に変えることなく、音楽を変えるだけでイメージを転換させ、メッセージ性を帯びたコレクションにまで昇華させる。
僕はデムナのアプローチに感嘆する。音楽の使い方だけで、ここまでコレクションから受けるイメージが変わった体験は初めてだった。しかも、しつこく繰り返してしまうが、スタイルも演出も変わっていないと言うのに。ファッションはビジネスだけにとどまらない、メッセージを伝えるメディアにもなる。やはりデムナ・ヴァザリアというデザイナーは傑物だ。真の才能は想像力を刺激する。
〈了〉