服から服を発想する研究家マルタン・マルジェラ

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AFFECTUS No.440

今日は最新コレクションや現代のデザイナーを取り上げることはやめよう。久しぶりに、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)について書きたくなった。とは言っても、これまでマルジェラについては何度も書いてきたわけで、目新しい何かを書くわけではない。2024SSシーズンの様々な最新コレクションを観察しているうちに、マルジェラのデザインについて改めて思うことがあったので、彼が手がけた過去のコレクションを例に挙げながら、語っていきたい。

私がこれまで確認してきたコレクション、デザイナーへのインタビュー取材を通じて感じたのは、ファッションデザインを行う場合、発想源は大きく分けて3つになるということだ。

まずコレクションの発想源として挙げられるのは、外部のストーリーである。ある映画をテーマに発想する、ある時代のスタイルから発想する、ある地域の人々の服装から発想する(近年は「文化の盗用問題」もあり、この手法は慎重になる必要がある)といったように、デザイナーが自身の外側からテーマを発見することを、ここでは外部のストーリーと呼ぶことにする。

二つ目に取り上げるのは、内部のストーリーだ。デザイナー自身の幼少時、デザイナー自身が旅行から得た体験、デザイナー自身が夢中になったカルチャーなど、デザイナー自身が体験し、そこで得た感情・記憶から発想する手法を、ここでは内部のストーリーと称する。とりわけ、「その体験がなければ今の自分はない」と言った類の体験(子供のころ、10代のころの体験)は、ベルギーのアントワープ王立芸術アカデミー出身のデザイナーなら、「アイデンティティ」と呼ぶものだろう。

そして最後の三つ目は、アイデアである。新素材、色彩、造形の探求、ファッション以外の分野で使われている手法をファッションに転用するといった、「モノ」にフォーカスして発想するアプローチがアイデアになる。

もちろん、細かく言えば別の手法もあるし、「外部のストーリー×アイデア」といったミックスもあるが、ここでは大別して上記の3種類とする。では、マルジェラはどれに当てはまるだろう。これは即答できる。間違いなくアイデアだ。それはマルジェラのクリエーションにおける絶頂期、1990年代のコレクションが証明している。

1989SSのデビューコレクションで、すでに確認できる。後に伝説となるこのコレクションで、発表されたアイテムの一つがタビブーツだった。日本人には馴染み深い足袋と同じ形状の、つま先が親指と他の指の二つに分かれたトゥデザインのブーツである。1991AW コレクションでは、ミリタリーの靴下をつぎはぎしたハイネックのニットを発表する。別のアイテムから新しいアイテムを作る手法も、マルジェラの特徴だ。

デビューから10シーズンが経過し、11シーズン目を迎えた1994SSコレクションでは、過去に発表したコレクションからアイテムをピックアップし、それをグレーに染め直しただけの服を最新コレクションとして発表した。毎シーズン、一から新しい服を作るファッション界の慣習とは対極のアプローチである。

1994AWコレクションは、人形のワードローブをテーマに制作された。人形が着用する服の特徴をキープしたまま、人間が着られるサイズまでに拡大。すると、人形が着ている時は自然だったが、人間が着るとディテールのバランスがおかしかったり、不必要に大きく感じられるボタンが取り付けられたりといった崩れが生じる。この歪な感覚を体感してもらうことが、1994AWコレクションの核となっていた。

翌シーズンの1995SSコレクションは、インナーや裏地をアウターとして着るコレクションを発表し、1996SSコレクションは、スパンコールを用いたドレスや太い糸で編んだニットを撮影した後に、それらをビスコースなどの繊細な素材にプリントしたアイテムを発表する。

1997SSコレクションは、絶頂期のマルジェラを代表するデザインだ。このコレクションでは、服作りをする際に用いられる人間の胴体を模した人体=ボディやトルソーと言われる服飾道具がテーマとなった。1867年創業、トルソーブランドして知られるパリの「ストックマン(Stockman)」社製のトルソーが、そのままノースリーブのジャケットになっていた。

1997年10月24日、パリで「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」との合同ショーで、1998SSコレクションを発表する。フラットガーメントと呼ばれた服は、まるで強烈なプレスを施したように真っ平になった状態の服が作られ、人間が着用することで立体化されていくものだった。フラットな形状の服を、曲線的立体造形の人間が着用したからこそ生まれたフォルムの面白さを堪能できるデザインだ。

1990年代に発表されたコレクションから代表的なものを紹介したが、どのコレクションにもストーリー性がないことを感じていただけたのではないか。マルジェラは、映画やカルチャーから発想することはほぼなく、自身の過去の体験=アイデンティティから発想する例も見られない。あくまで服から服を発想していく。

上記のコレクションのアイデアを聞いても、特別に感じなかったものが多数あっただろう。たとえば、1991AW コレクションで発表されたミリタリーの靴下をつぎはぎしてトップスを作るというデザインは、古着をリメイクして新しい服を作る方法であり、現代では特別珍しいものではない。しかし、裏地やインナーをアウターとして着るなど、今では当たり前になったアイデアを、モードの舞台で先駆けて発表したのがマルジェラだった。彼は、現在の当たり前を作り出したファッションデザイナーと言える。

また、マルジェラが発見するアイデアは服として形になると、非常にシンプルなことに気づく。タビブーツやトルソージャケットは、既存の造形をファッションアイテムに置き換えただけとも言えよう。フラットガーメントも服のパターンを平らに作り、それを人間にただ着せるだけだ。しかし、それらのアイデアをモードの舞台で発表したデザイナーは誰もいなかった。それまで誰も思いついていなかったのだ。人間の意識と意識の隙間にすっぽりと落ちてしまっていたものを、マルジェラだけが見つけられた。

以前にも述べたように、マルジェラの創作を見ているとファッションデザイナーというより、服の研究家と呼ぶ方がふわしく思える。服をとことん研究し、服から服を発想する研究家。マルジェラの代名詞の一つ、白衣は彼の創作姿勢を表すのに最も適切なユニフォームだ。彼のデザインにエモーショナルなものは感じない。コレクションはまるで論文のように冷静で、淡々とした筆致の文章を読むかのようだ。マルタン・マルジェラは、ファッションを読む体験をもたらしてくれる人物だった。

〈了〉

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