フミト ガンリュウのミニマルストリートウェア

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AFFECTUS No.539

マンガであれ映画であれ、音楽でも料理でもいいのだが、初めて体験した際には特別な印象を持たなかったのに、2度目の体験をした時に1度目とは印象がポジティブな方向に変わることはないだろうか。そう言われて私が思い出すのは、東京・竹橋の近代美術館でアンリ・カルティエ=ブレッソンの回顧展を見た時だった。近年で言うと、アニメ『86 ーエイティシックスー』を視聴した時も該当する。

『86 ーエイティシックスー』の場合は、リアルタイムで観ていた時も面白かったのだが、衝動と言えるほどの感動はなかった。しかし、放送終了から1年半ほど経過して改めて全話を観た時は、最終回のラストシーンで涙が滲み出すほどで、1回目の視聴では体験しなかった大きな感動が訪れた。レーナがシンたちを追いかけて戦場で戦い続け、生きていたレーナがシンにとって生きる希望になったことに震えてしまった。ラストシーンがあまりに美しすぎる。

もちろんファッションでも同様の体験をすることがある。6月に発表にされた「フミト ガンリュウ(Fumito Ganryu)」2025SSでイメージの転換を味わう。

全20ルックと小規模のコレクションを、最初に見た時は想像以上にシンプルで、正直言ってしまえば物足りなさを感じた。しかし、だ。物足りなさを感じたはずのルックを再度見続けていたら印象が徐々に変わっていき、「これはいいかも……」と静かに心が高鳴り始めた。

「ミニマルなストリートウェア」というフレーズが浮かんだ瞬間、コレクションに対する印象が変わる。以前にも述べたとおり、今の私はデザイナーの体験してきたカルチャーが表現されるストリートウェアを見ることが楽しい。ファッションを通して、デザイナーがどのような人間なのかが伝わってくる体験は、小説やアニメに通じる物語性を感じて非常に刺激的だ。

一方で、ストリートウェアに対してある欲が生まれていた。基本的にストリートウェアは、ロゴやグラフィックを用いた装飾性高いデザインが多いため、ストリートウェア文脈の中で、ミニマルな解釈の服が見たいという欲求が高まっていた。

もちろん、ミニマルなストリートウェアはある。たとえば、パリを拠点にし、昨年4月に東京の代官山にフラッグシップショップもオープンさせた「フューチャー(Futur)」がそうだ。色数は少なく、グラフィックが使われてもシンプルさと品格が漂うストリートウェアである。ルーク・メイヤー(Luke Meier)が手がける「OAMC(オーエムシー)」も、私の中ではミニマル志向のストリートウェアに該当する。

しかし、そのようなブランドは少ないように思う(私が知らないだけの可能性ももちろんある)。やはり、ストリートウェアには装飾派が多いように感じる。そんなストリートウェアの文脈に、「フミト ガンリュウ」はカウンターを打ち込む魅力を感じた。

ブランドの象徴であるビッグシルエットは健在。発表されたアイテムの多くが、スケーターたちの姿を思い浮かべるボリューミーなシルエットで、ストリートマインドが濃厚。色数もミニマリズムの定石と重なり、アイテムの9割ほどはブラック・グレー・ホワイトの無彩色が占める。グラフィックも、波形や丸をモチーフにした抽象模様をプリントしたTシャツのみで抑制されている。

フーディー、Gジャン、ジーンズ、オーバーサイズシャツというストリートウェア普遍のアイテムを中心にして、「フミト ガンリュウ」が得意とするフォルムデザインでモデルチェンジを図る。そして、そこに加わるミニマルなアクセント。ストリートウェアとブランドの個性を確立しながら、新しさをミニマリズムの手法で演出したコレクションは、ストリートウェアにおける文脈的新鮮さを見事に確立していた。

初見ではコレクションの価値に気づくことができなかったが、じっくりと観察することで、ミニマルなストリートウェアという個性があることに気づけた。一目見るなり、一瞬で高鳴るファッション体験は最高だ。一方で、時間を経て徐々に価値に気づくファッション体験には、味わい深い面白さがある。「フミト ガンリュウ」は後者の楽しさを、久しぶりに実感させてくれた。この体験、やはり奥ゆかしくてたまらない。

〈了〉

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