AFFECTUS No.620
彼女は、東京で働く会社員。ファッションは好きだが、今はあまりに個性的な服は好まない。けれど、昔は違っていた。特に20歳前後のころは。「ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)」、「アンダーカバー(Undercover)」、個性を均す服を否定する強い個性に惹かれていた。ブランドを選ぶ基準は「似合うか、似合わないか」ではなく「着たいか、着たくないか」。
だが、そんな衝動的な時期は終わった。服装は自由だが、オフィススタイルの範囲内でという会社に、彼女は大学卒業後に新卒で入社する。そしてそのまま今も働き続けている。いつしか彼女の感覚は、「ベーシック」が馴染むものへと変わっていった。
今では、「マーガレット ハウエル(Margaret Howell)」、「オーラリー(Auralee)」と、シンプルながらもニュアンスが魅力的な服を好む。周囲から「似合う」と言われ、自分自身でも気に入っているブランドだ。クローゼットの中でも、とりわけ好きなブランドが「A.P.C.(アーペーセー)」。
1987年、ジャン・トゥイトゥ(Jean Touitou)が設立したフレンチベーシックは、実直でスタンダードなデザインが魅力だった。だが、そのデザインは「無印良品」ほどアノニマスではない。気を衒わないデザインの古着が好きな女の子のように、そこはかとないフェミニン、ほんの少しのレトロをジーンズやシャツに漂わせている。
「やっぱり、これ」
A.P.C.のコットンスカートを穿いて、今日も鏡の前で彼女はそう呟く。
仕事帰りに、友人と合流して楽しいご飯を終えて帰宅。ソファで一息つき、スマートフォンを取り出してXを立ち上げる。タイムラインに流れてきた画像に、指が止まった。それは、数年前に初めて見た時からずっと記憶に残っているアイテム。「ミュウミュウ(Miu Miu)」のマイクロミニスカートだった。
信じられないほど短いスカート丈、スカートのヘムラインから覗く、ウェストに入れたはずのシャツの裾。デザインはまったく違うはずなのに、かつて大好きだったヴィヴィアン ウエストウッドやアンダーカバーと同じように、常識に背を向ける服に胸の内がざわつく。
「いやいや、無理」
仮に、もし、という言葉を冒頭に置いて彼女は考える。
「もし買ったとしても、着ない」
今の自分のスタイルとは明らかに違うマイクロミニスカート。彼女はXを見ることを止めて、Instagramを見始めた。
しかし、アルゴリズムがまたスーパーミニのボトムを写し出す。おすすめとして流れてきたのは、誰かが絶賛しているカイア・ガーバー(Kaia Gerber)のファッションだった。
1990年代のスーパーモデルブームを牽引したシンディ・クロフォード(Cindy Crawford)の娘であるカイアは、16歳でモデルデビューを飾り、「マーク ジェイコブス(Mark Jacobs)」「カルバン クライン(Calvin Klein)」「シャネル(Chanel)」と、名だたるブランドからオファーが殺到したスター。Instagramには、そんなカイアの普段のファッションが写っていた。
メンズライクなオーバーサイズのストライプシャツを着用し、ボトムにはスーパーミニのスカートを穿いている。ビッグなボリュームのシャツの裾から、見え隠れするプリーツ入りのマイクロミニスカート。
「これなら……」
カイアのスタイルをきっかけに、彼女は手持ちの服とのコーディネートを考え始めた。A.P.C.が好きだった彼女は、メンズラインのアイテムも買っていた。そのアイテムがシャツ。メンズサイズをさらに大きなサイズで着用することが、彼女の好むスタイルの一つ。当初は否定したマイクロミニスカートも、クローゼットに収納されているA.P.C.のメンズシャツとなら、今の自分が着たいスタイルになる。
「似合う、似合わない」ではなく「着たいか、着たくないか」
久しぶりに蘇る衝動。けれど、あのころから経過した長い歳月が彼女を逡巡させる。その気持ちを引きずったまま、彼女はシャワーを浴び、その晩は眠りにつく。
翌日、ランチを終えて、午後の仕事までのひと時をリラックスしている時間、スマートフォンでA.P.C.のオンラインショップをチェックする。今度はデニムスカートが欲しいと思って検索していると、思わぬアイテムに視線と指が止まる。
コーデュロイのミニスカート。スカート丈は35cm。女性モデルの着用姿を見ると、明らかに着丈が短いミニスカート。今の自分が好きなブランドで、自分がためらいを覚え、けれど久しぶりに衝動を覚えたアイテムが発売している。あの衝動は、アンダーカバーからではなく、A.P.C.から返ってきた。
彼女は静止していた指を、スマートフォンの上で再び動かし始める。だが、ショッピングカートに入れるための「バッグに追加する」と書かれたボタンの上で、また指は止まる。
「いや、でも……」
それはためらいなのか、それとも。
〈了〉