AFFECTUS No.630
デザイナーを読む | アンチ・トレンド #1
ナンバーナイン|宮下貴裕
2000年代初頭の東京、「ナンバーナイン(Number (N)ine)」が巻き起こした熱狂は異常だった。狂気に近い熱量は、今なお日本のメンズファッション史において他に例を見ない。
この連載「アンチ・トレンド」では、過去のデザイナーを現代の目線で再考する。初回はナンバーナインの宮下貴裕に焦点をあてる。彼は現在「タカヒロミヤシタ ザ ソロイスト(TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.)」として活動するが、今回はナンバーナイン時代のデザイン構造を掘り下げる。
▶︎常識を拒む後ろ姿、宮下貴裕という反抗のデザイン
Vogue Runwayでバックスタイルのみのルックを発表したソロイスト。その狙いとは?
1996年に設立されたナンバーナイン。このブランドは、音楽との結びつきを抜きに語れない。宮下が愛したロックを背景に生み出されたコレクションは、同じく音楽を愛する人々の心を強く捉えた。
ただし、当時ファッションと音楽を結びつけたブランドはナンバーナインだけではない。たとえば、黒田雄一による「ラッド ミュージシャン(Lad Musician)」はナンバーナイン設立の1年前、1995年に「音楽と洋服の融合」をコンセプトに掲げて活動を開始している。視線を海外に移せば、1995年設立の「ラフ シモンズ(Raf Simons)」が、ロックの魅力を投影したメンズファッションで世界的な人気を集め、日本のセレクトショップでも既に展開されていた。
このように、ナンバーナインが東京で初めてショーを開催する2000年以前から、音楽とファッションの融合は実践され、決して珍しい動きではなかった。そのためナンバーナインが先駆者だったとは言いがたい。だが、ナンバーナインの特異性は、「音楽&ファッション」という文脈において、他ブランドと明確な3つの差異を持っていた点にある。
一つ目の差異:「オマージュ」の対象
ファッションデザインにおいて、特定の対象にオマージュを捧げることはスタンダードな手法だ。しかし、ナンバーナインの際立った点は、その対象の選び方にあった。
たとえばラフ シモンズは、ダフト・パンク(Daft Punk)やクラフトワーク(Kraftwerk)といった、彼自身が敬愛する「バンド=集団」のイメージを引用し、強い支持を得ていた。一方、ナンバーナインはジョージ・ハリスン(George Harrison)やカート・コバーン(Kurt Cobain)、さらには音楽家ではない夭折のコメディアン、アンディ・カウフマン(Andy Kaufman)をもモチーフにした点で異彩を放つ。ザ・クラッシュ(The Clash)を扱った2004SSコレクションのように、バンドにフォーカスした例もあるにはあるが、それは例外的だった。
宮下は「集団」よりも「個人」をオマージュの対象にすることが多く、その手法でオマージュした人物の精神性や態度を服で体現し、より先鋭化させていった。
二つ目の差異:「暗さ」の質感
ナンバーナインとラフ シモンズには、「暗さ」という共通するイメージがある。しかし、その質感には大きな違いが存在した。ラフ シモンズの暗さが少年性に由来し、儚くも希望を秘めたポジティブなものだったのに対し、ナンバーナインの暗さは陰鬱で重苦しい。
ナンバーナインのランウェイを歩くモデルたちは俯き、気怠そうにゆったりと歩く。その姿は重く、どこか呪いのようにまとわりつく、負のエネルギーを帯びた暗さが漂う。宮下が表現したのは、男性の内面に潜む重苦しさや閉塞感だった。
▶︎悪夢が美しいラフ・シモンズのTEENAGE DREAMS
ラフ・シモンズも陰鬱な暗さに挑んだシーズンがあった。明るさでは救われないこともある。
三つ目の差異:「テーラードジャケット」の使い方
ナンバーナインのコレクションにおいて、ほぼ毎シーズン登場するキーアイテムがテーラードジャケット。
当時の東京コレクションでテーラードを多用するブランドといえば、松本与の「アトウ(Ato)」のようにスーツスタイルを志向する本格派が多かった。その中でナンバーナインは異なっていた。ボトムスにはスラックスではなく、あえてジーンズを合わせる。ネクタイやシャツではなく、ネックレスやスカーフ、深いネックラインのカットソーやニットを合わせるスタイル。つまり、テーラードをドレスアップではなく、脱構築的に、カジュアル文脈で扱っていたのだ。
東京コレクションで発表するカジュアルブランドが、テーラードを扱うこと自体も稀だった時代、ナンバーナインのスタイリングは市場における隙を突いたものだと言える。
この「個人へのオマージュ」「陰鬱な暗さ」「脱構築テーラード」の三要素が重なり合い、ナンバーナインは2000年代のファッションシーンに唯一無二の位置を築く。
特に「負のエネルギー」は現代的な価値を帯びている。現代は不安や孤独、メンタルヘルスといったテーマが社会でオープンに語られ、企業もそのケアの環境整備に取り組む時代となった。宮下が示した「負のエネルギー」は、現代においてポジティブに受け入れられる「ネガティブ」として再評価されるかもしれない。
今、デザイナーが惹かれる負の感情はなんだろうか。それを見つけることが、モダンなクリエイティブになりうる。ファッションは時代を映す鏡なのだから。
〈了〉
▶︎アメリカ映画を愛するダイリク
音楽を着たナンバーナイン。映画を纏うダイリク。”カルチャーを着る”ことが、いま再び意味を持ち始めている。