AFFECTUS No.686
ムーブメントを読む #8
カフェやオフィスで、フードや止水ジップ、ドローコードを目にすることは、もはや珍しくない。防水素材のシェルが、コーヒーの湯気やパソコンの画面と並んで存在している。誰もそれを指摘しないし、話題にもならない。着ている本人も、周囲も、それを特別なものとして扱っていない。私自身も、その光景を自然なものとして受け取っている。
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けれど、かつては違った。アウトドアウェアは明確に街で着る服ではなかった。「ザ ノース フェイス(The North Face)」のマウンテンジャケットを街で着れば、「山に行くの?」と聞かれる時代があった。機能はまだファッションとして扱われておらず、街に馴染むことを前提としていなかった。アウトドアが好きな人のための、専門的な装いだった。
今、同じようなパターンや素材を持つ服が、街の風景に溶け込んでいる。その変化を、私たちはほとんど意識しないまま受け入れている。
ただし、アウトドアウェアそのものが、根本から別の服に変わったわけではない。素材やパターン、アイテムの構造は、今も昔も大きくは変わっていない。止水ジップやフード、ドローコードといった要素は、もともとアウトドアウェアの中核にあったものだ。雨や風に備え、身体を守るための、合理的なつくりである。
確かに、シルエットは調整され、色使いやディテールは洗練された。街で着ることを想定したチューニングは施されている。「アークテリクス ヴェイランス(Arc’teryx Veilance)」のように、アウトドアウェアを都市の装いとして再構成したラインも登場した。しかし、それは従来の構造を捨てたわけではない。むしろ、王道の構造を前提としたまま、印象だけが整えられたにすぎない。服の構造は以前と連続している。過剰な装飾が加えられたわけでも、用途が書き換えられたわけでもない。アウトドアウェアは、アウトドアウェアのままだ。
それでも、現在、シェルジャケットは街の中で違和感なく受け入れられている。かつては用途の服として存在感が強かったウェアが、今は風景の一部として溶け込んでいる。
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→ AFFECTUS No.118(2019.1.21公開)
ベンチレーションジッパーやトラッキングパンツが日常の服の一部と化して、特別な意味を持たず、ただ、そういうものとして存在している。
違和感が消えたというより、違和感が立ち上がらなくなった、と言ったほうが近い。かつては、見るだけで「山のための服」という意味が浮かび上がっていた構造が、今は視界に入ってきても通り過ぎていく。アウトドアウェアが持っていたはずの文脈が、今や読み取られることはほぼない。
若い世代にとっては、なおさらだろう。止水テープを貼った服を、タウンウェアとして疑問に思う理由はない。最初からその風景の中で育ち、その装いを前提として日常を過ごしてきた。違和感は、感じなくなったのではなく、最初から存在しない。
アウトドアウェアは、違和感が違和感として受け入れられなくなった社会を形にした。その現象は、これからも起こり得る。将来、私たちはどんな違和感を、違和感として扱わなくなっていくのだろう。
今、私たちが「場違いだ」と感じている服も、いつかは風景に溶け込んでいくかもしれない。用途が明確すぎて街では着られないと思っている服、役割が強すぎて日常には馴染まないと感じている服。そういったものが、やがて違和感として立ち上がらなくなる日が来るかもしれない。ファッションに限らず、社会の中にも似た感覚はきっとある。現在の私たちが「おかしい」と感じているものも、やがては感覚の内側に染み込んでいく。
アウトドアウェアは定着した。けれど、それは変化の終わりを意味しない。違和感を受け取る感性が更新されたあと、次に何が違和感ではなくなるのか。その問いが今、残る。
〈了〉
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