AFFECTUS No.629
ブランドを読む #2
ファッションには、現実のコレクションと同じくらい、あるいはそれ以上に語られる「もしも」の物語がある。この数ヶ月、熱い注目を浴びた「幻のニュース」といえば、「エディ・スリマン(Hedi Slimane)が『グッチ(Gucci)』のアーティスティック・ディレクターに就任する」という噂だろう。メディアでも発信され、多くのファッション好きの想像力を強烈に刺激した。
▶︎グッチ×エディ・スリマン、就任の噂は本当か?可能性と背景を読む
立て直すはずの一手が、まさかの誤算。混乱期のグッチに必要なデザイナーとは誰だ?
今回の批評は、そんな「ありえたかもしれない世界」を仮定し、その幻をレビューするという試みだ。
Gucci 2026SS コレクション(空想)
「どのブランドでも同じスタイルになる」と言われてきたエディ・スリマンだが、グッチではどうなるのか。「セリーヌ(Celine)」時代の終盤、スリマンはクラシック回帰の兆しを見せていた。グッチで、クラシック路線を発展させるのだろうか。だが、ファーストルックでそんな期待は裏切られる。期待に応えるのではなく、裏切ることで期待を凌駕する。彼にとってトレンドは意味がない。それこそがスリマンだった。
テンガロンハットを被り、首元にスカーフを巻く男性モデルは、フーシャピンクに染まったVネックの長袖ニットを着用。ボトムは裾が断ち切られて色褪せたジーンズ。そのシルエットは明らかに細い。けれどスリマンの代名詞であるスキニーとは違い、セリーヌで披露してきた微かな量感を含むストレートだ。足元にはブーツ。春夏だからといって、靴をシーズンに合わせるのではない。スタイルに合わせるべき靴を合わせる。
次々にランウェイを歩くデニムルック。スリマンは時代と逆行する形で、クラシックからカジュアルへの回帰を始めた。
女性モデルは、襟元が優雅な白いボウブラウスに黒いベストをラフに羽織り、デニムのショートパンツを穿いている。ボトムの着丈は、1970年代に一世風靡したホットパンツを思わせるほどの短さ。靴はミドルブーツで、広い歩幅でスピーディに歩くモデルには媚びのない自信が漂う。
「私は、私の着たい服を着ているだけ」
重要なのはトレンドではない。自分のマインド。まるでそう言っているような、堂々とした姿。
ネクタイルックも発表されたが、セリーヌ時代とは一線を画す。セリーヌではジャケットの素材には最高に上質な質感のテキスタイルを選んでいたが、今回のグッチでは、ヘリンボーン(またも春夏らしくない素材)を選択。しかもセリーヌのジャケットは真新しい表情の素材だったが、グッチではヴィンテージタッチに転換していた。
シャツはストライプ、ネクタイはレジメンタル。古風なアメリカントラッドと言える組み合わせだ。しかし、ボトムは一転して破壊的。色褪せたジーンズは両膝、というよりも左右の大腿部が大胆に裂かれて脚が露わに。ただし、ジーンズのシルエットは端正なストレートに作られ、エレガンスをギリギリで保つ。
特筆すべきは装飾のなさだった。セリーヌや「サンローラン(Saint Laurent)」時代の煌びやかさを封印し、ミニマルに徹している。経年変化の素材感や構成のシンプルさから、「アワー レガシー」に近い印象もあるが、あくまでそれは「服」の作りの話であり、「スタイル」はアワー レガシーより遥かに色っぽく挑発的だ。
(幻の)デビューコレクションで改めて実感したのは、スリマンが単に「自分の着たい服」を作るのではなく、「自分の愛する若者たちが着たい服」を作るというデザイナーであり観察者である姿勢である。彼の写真プロジェクト「HEDI SLIMANE DIARY」には、今回のルックと地続きのスタイルが写る。ストリートからランウェイへ、逆輸入される感覚。スリマンは独断専行ではない。リアルな感性の延長にデザインがある。
現在のコレクションシーンでは、デザイナー自身の文化的背景やパーソナルな物語が前景化する傾向がある。今回のグッチ(という“もしも”)では、スリマンが20年以上撮り続けてきた若者たちの文化が、具体化したファッションと言えよう。
▶︎ヴァージル・アブローとパイレックス ビジョン -1-
究極のベーシック、Tシャツがファッションの定義を揺さぶる一着に。全3回シリーズの第1回。
そして、そこにはかつてのグッチには欠かせなかった「色気」が戻っていた。サバト・デ・サルノ(Sabato De Sarno)のコレクションでは薄れたエロティシズムが復活した。ムードとシルエットはトム・フォード(Tom Ford)期とは異なるが、あの時代の「色気」が蘇っている。
スリマンがグッチのアーカイブを参照したかは定かではない。スリマンにしてみれば、いつも通りの自分のやり方で制作しただけかもしれない。しかし、そこにはグッチの伝統を蘇らせた新しいグッチ像が生まれていた。
これは架空のレビュー。存在しないスリマンのグッチを語ることは、存在するグッチやスリマンを捉え直す手がかりになる。
〈了〉
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1本のアニメ映画から立ち上がったファッション論。失望のうちでは、弱さの肯定が救いになる。