AFFECTUS No.580
仮想通貨ビットコインの開発者として知られるサトシ・ナカモトは、その存在さえ疑われるほど正体不明の人物だが、世界中に名が知られるミステリアスな人間の名前をブランド名にする「サトシ ナカモト(Satoshi Nakamoto)」も、デザイナーが非公開であり、オフィシャルな情報源にも背景情報がまったく掲載されていない謎多きブランドだ。
Instagramにはブランドアカウントがある。現時点で、4万7千人あまりのフォロワーが、その名も顔も不確かな存在に惹きつけられている。公式ブランドサイトも確認できる。だが、デザイナーの名は明かされず(本当にサトシ・ナカモトなのかもしれない)、どの国のどんな人間が関わっているかすら、まるで霧の中だ。このネーミングは、ビットコインの謎の人物を用いたマーケティングかもしれないが、それを単なるビジネス上の戦略と言い切るには危うい。
なんでも検索すれば答えが見つかる現代。答えがすぐに見つかることが、果たして人間にとって本当にポジティブなことなのだろうか?
▶︎コンテクストをデザインするオフホワイト
答えを考えさせるデザイナー・ブランドがいる。ヴァージル・アブロー時代のオフホワイトは、その参考例。
この疑問を解消するために、ひとつずつプロセスを経ていきたい。まずアイテムのデザインから見ていこう。
サトシ ナカモトのアイテムは、モータースポーツやヴィンテージの引用を巧みに用い、グラフィック、ダメージ加工、ルーズシルエットを交えてストリートウェアを形づくっている。クリーンやミニマルといった表現とは別ベクトルの服。ビジュアルのトーンも暗い。
しかし、そこに雑多な印象は受けない。なにか、一人のアーティストが自身の解釈を世界に投げかけているような、一種の清々しさが漂う。
誰がデザインしているのか。なぜ、この名なのか。どんな思想が服の奥にあるのか。問いは無数にあるが、どれも答えにたどり着かない。ネット上では、有名デザイナーの裏プロジェクト説も、ロサンゼルスブランドを躍進させた人物との関係性も囁かれている。しかし今のところ、それらはすべて、想像の霧の中でしかない。
けれど、むしろこの「わからなさ」こそが、このブランドの真のコンセプトなのではないかと思えてくる。
ファッションの世界はいま、透明性を義務として背負わされている。誰が、どこで、どう作ったのか。誰が着て、誰に届くのか。その情報をすべて明かし、倫理的であることが正しいとされている。
だが、サトシ ナカモトは、あえてそれを拒絶している。 作り手は語らない。顔を見せない。意味を押しつけない。そこには「名づけないことによって生まれる自由」がある。
なぜ人は、語られないものに惹かれるのか。
それは、語られないものだけが、私たちに「自分の言葉」を探させるからかもしれない。意味を与えられない服。意味を奪われた服。そして、意味の余白をたたえた服。
匿名性。それは、過剰に説明される世界への静かな反逆でもある。いま私たちに必要な服は、ブランドのメッセージを着ることではなく、自らの意思を表現した服、その表現が可能な余白を持つ服なのかもしれない。
異なる意見に、拳を振るう。そんな日々が、画面の向こうに広がっている。息苦しい世界は、現実世界だけではなかった。こんな時代だからこそ、体に纏う服から、服だけは、誰かのメッセージを排してもいい。
サトシ ナカモトは、ブランドなのか。プロジェクトなのか。それとも、ひとつの運動なのか。 わからない。ただ、このわからなさに、確かな時代の気配が宿っていることだけはたしかだ。
だが、いまのファッションには、答えよりも「問い」が必要だ。名を持たぬ服に、私たちは惹かれる。答えは、まだわからない。
〈了〉
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