メンズの重さを、軽やかに手放す-ベッドフォード 2026AW

AFFECTUS No.696
コレクションを読む #27

山岸慎平によるベッドフォード(Bed j.w. Ford)の2026AWコレクションは、色や素材、アイテムの構成だけを見れば、メンズウェアの伝統的な重厚さへ傾いても不思議ではないコレクションだった。チェックのスーツ、コート、ウール、テーラリング。直線的な線を基調としたシルエット。ところが実際には、その「重さ」は前面に出てこない。差し込まれる明るい色と、シルエットのわずかな操作によって、重厚さは遠ざけられていた。硬くなりそうなのに、どこか浮遊感がある。その感覚が、すべてのルックを見終えた後も残った。

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重要なのは、このコレクションが「軽い服」で構成されているわけではない、という点だ。パンツは太く、コートは長い。ジャケットやスーツはクラシックな文脈をはっきりと引き受けている。カジュアル化によって重さを回避したわけではない。要素だけを分解すれば、むしろ重さを生む条件はきれいに揃っている。にもかかわらず、服は重く見えない。このズレは、単なるスタイリングの妙では片付けられない。

ここで感じられた浮遊感は、素材の軽さや色の明るさだけでは説明できない。むしろ印象的だったのは、服が身体に対して取り続けている「距離」だった。

ショールやケープのように肩へ掛けられた布は、固定されることなく、重さを一点に集めない。ツイードやコーデュロイといった本来なら質量を強く感じさせる素材も、きちんと着込まれることはなく、どこか未完の状態で留められている。ジャケットの袖口から飛び出し、折り返されたシャツのカスス、生地にグレンチェックを使っても、スウェットのようにルーズな形のトラウザーズ。どれもが、メンズウェアの規範には倣わない操作に見えた。重さを否定するのではなく、引き受けすぎない。身体に密着させず、誇張もしない。

このコレクションに漂う浮遊感は、軽さではない。服が自ら一歩引き、身体との関係性を保留にしている、その距離そのものだった。

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メンズウェアは長く、「強さ」や「正しさ」を体現するものとして語られてきた。素材は重く、シルエットは直線的で、伝統を重んじたアイテムが中心になる。その結果、男性のスタイルは硬直的になりやすかった。日本では特にその傾向が強く、一部の業界を除けば、仕事の場でスーツを着ることが半ば当然とされてきた。

だが、今は状況が違う。役所などの公的な場でさえ、服装は大きくカジュアル化している。ジャケットとシャツを着ていても、ネクタイは必須ではない。スーツを構成してきた象徴的な要素は、少しずつ外されてきた。ただしそれは、テーラリングそのものが不要になったという意味ではない。求められているのは、強さや正しさをそのまま背負う服ではなく、それらとどう距離を取るか、という身のこなしだ。

ベッドフォードの2026AWに見られたニットの下からシャツの裾を出したり、ネクタイをゆるく巻いた着方、明るい色の差し込みは、メンズウェアを軽く見せるための工夫ではない。むしろ、役割や意味を一つに固定しないための操作に見える。重さは消えていない。ただ、メンズウェアの伝統=重さをそのまま引き受けることが、今は現実的ではなくなった。その変化が、服の距離感として現れている。

山岸が提示したのは、伝統と現在の間に立つ方法だった。トラディショナルを着ながら、その規範には従わない。重厚な素材を使いながら、身体を拘束しない。このコレクションは、メンズウェアの伝統を「守る」のでも「壊す」のでもなく、距離を取りながら付き合い続けるという、第三の道を示している。それは、強さを演じることにも、軽さに逃げることにも疲れた男性たちの状況に重なっていた。

〈了〉

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